「エゾシカは森の幸」を道民の合い言葉に!

2011年3月27日、紀伊國屋書店札幌本店インナーガーデンイベントでの講演予稿

1 謝辞

 みなさん、こんにちは。フリーライターの平田剛士です。このたび、生態学者の大泰司紀之さんと、この『エゾシカは森の幸 人・森・シカの共生』という本を作りました。この出版を記念してきょう、このような会場でみなさんにスピーチする機会を作ってもらいました。主催者の紀伊國屋書店札幌本店さん、協力くださっている社団法人エゾシカ協会さんと、版元の北海道新聞社さんに感謝申し上げます。
 はじめに、このたびの震災で被害に遭われたみなさまに心よりお見舞いを申し上げたいと思います。会場のみなさまには、こちらのユネスコ「東北地方太平洋沖地震支援募金」の箱に、ぜひお志をいただければと存じます。紀伊國屋書店さんからユネスコを通じて被災地に届けられ、支援に役立てていただくことになっています。
 それから、きょうは3人のゲストをお迎えしています。いま演奏を披露くださったジャンベ奏者の茂呂剛伸さん、「レザーサロンヒサシ」ご亭主の横山尚さん、工房「ワイルドゼロ」の佐々木宏通さんです。
 ゲストの3人さんには後ほどたっぷり語っていただくとして、まず私からみなさんに「「エゾシカは森の幸」を道民の合い言葉に!」のテーマでお話しいたします。


2 イントロダクション

 わたし、モノカキ稼業をもう20年ほどもやってきましたが、こんなふうに書店さんのイベントに呼んでもらったのは初めてで、なんだか自分が有名作家になった気分です。もちろんカン違いでして、こうしてみなさんがここに集まってくださったのも、エゾシカ問題という、われわれ北海道の住民のだれもが関心を持っているテーマだからこそでしょう。
 試しに1つ、質問させてください。動物園以外で、野生のエゾシカを見たことがある、という方は、手を挙げてみてください。
 比較のためにおうかがいしますが、「野生のキタキツネを見たことがある」人は? 「野生のエゾヒグマ」はどうです?
 エゾシカもキタキツネもエゾヒグマも、北海道にしか分布しない動物です。生息環境がやや異なるとはいえ、人目に触れる頻度をモノサシにすると、いまエゾシカは道民にとってもっとも身近な動物だ、と言えると思います。
 このことは別のデータにも表れています。きょう、最初に頭に留めていただきたい数字は、コレ。「50億円」という数字です。
 みなさんは「エゾシカの食害」という言葉を聞いたことがおありでしょう。2009年度、北海道全体で、エゾシカが食い荒らした作物の被害額が、50億円を突破しました。ヒグマやキツネやカラスやアライグマなんかも畑に出てきて食害しますが、けた違いの金額です。
 もうひとつのキーナンバーは「9万頭」。2009年度の1年間に捕獲されたエゾシカの数です。かれこれ10年以上、北海道ではエゾシカ保護管理計画と言って、エゾシカの数を減らすための政策が進んでいます。ついに自衛隊まで動員されているわけですが、こうした努力によって戦後最高の9万頭が捕獲されました。
 それでもシカは減ってくれない。それどころかなお増加している、というのが、研究者たちの観測です。シカを見かける機会はまだ増えていくと思います。
 かように身近な野生動物を、たんに「害獣」だと厄介者扱いしているばかりでは、人間とエゾシカの双方にとって不幸です。なんとかハッピーな関係を切り結んでいけないか、という工夫がすでに北海道内のあちこちで始まっていまして、この本ではそうした実践をたくさんご紹介することが出来ました。
 きょうは何しろ本屋さんの店先をお借りしてのイベントですから、とくに「新しいエゾシカ文化」とでもいうべきものについてお話ししようと思って、準備してきました。


3 古いエゾシカ文化

 「新しいエゾシカ文化」と言いましたが、じゃあ「古いエゾシカ文化」というのがあったのか、ということになります。
 この「エゾシカは森の幸」を監修くださったエゾシカ協会会長の近藤誠司さんは、知る人ぞ知るディアハンター、つまりシカ撃ちの名人です。ハンターさんって、今の日本では白眼視されることも多い。そういう風潮にあって、近藤さんは北大の教授という立場で、狩猟の魅力をあちこちで説いて回ってらっしゃいます。
 で、ついには人類発祥のころまで歴史をさかのぼっていっちゃった。ハンティングは有史以来の人類の文化だ、と近藤さんはいうのです。
 現生人類はアウストラロピテクス属という「猿人」から進化してきたと考えられています。その過程で、およそ180万年前に劇的な体格の変化がありました。体も脳も格段に大型化したんです。
 きょうは書店のイベントなので、参考文献をたくさん持ってきました。興味あるかたはぜひお帰りにお店でチェックしていってください。

 さて、人類の祖先の大変化について、木村有紀著『人類誕生の考古学』 の一節をご紹介しましょう。

(……引用略)

 野生動物を狩猟してその肉を常食するという行為こそが人類を人類たらしめた、というわけです。
 でも「食文化」と呼ぶには、これは未熟すぎます。そこで次にご紹介するのはこちら、フェリペ・エルナンデス・アルメスト著『食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで』。

(……引用略)

 火の使用が合わさって、食が文化とつながってきました。
 人類と野生動物との関係は、初めは「食う食われる」だけだったかも知れませんが、やがて「着る」が加わります。毛皮の利用ですね。西村三郎著『毛皮と人間の歴史』の一節をご紹介しましょう。

(……引用略)

 北海道にも、野生動物との濃密な関係がありました。たとえば、現在の千歳空港のそばにキウス遺跡があります。縄文後期といいますから、約5000年〜4000年前ごろでしょうか。北海道埋蔵文化財センターの考古学者のみなさんが発掘してみると、沢に続く開けた場所の地面に無数の小穴が並んでいるのが見つかりました。どうやらこの穴に丸太をずらっと立てて柵を作り、エゾシカを群れごと追い込むための大がかりなワナだったらしいのです。詳細は本書に書きましたので、これは朗読しないでおきます。どうぞお買い求め下さい。

 ほかにも、「Tピット」と呼ばれる落とし穴が道内各地の遺跡でたくさん見つかっています。こんなふうに生活に密着しているという意味で、当時の社会の中でエゾシカ文化が育まれていたのは間違いありません。その後、民族の移出入などが繰り返されながら、この島のエゾシカ文化はひとつの頂点を極めます。アイヌ文化です。
 エゾシカ協会のパンフレットがお手元にありますか。エゾシカのことをさすアイヌ語が並んでいますが、まだ他にもたくさんあるんです。
 なかでも、今日一般的なエゾシカのアイヌ語名はユクです。どういう意味でしょう? 知里真志保著『分類アイヌ語辞典〈第2巻〉動物篇』から引用してみます。

(……引用略)

 アイヌが狩猟民族であるといわれる所以ですね。もうひとつ、幕末の探検家、松浦武四郎著『蝦夷日誌 』から、8月に日高を旅したときのルポを読んでみます。

(……引用略)

 迫真の描写です。数万頭の群れというシカの数もさりながら、お客の武四郎をほったらかしてガイドのアイヌたちがみんな弓矢をつかんでシカめがけて走っていっちゃった、というのがユーモラスです。
 でもそれはアイヌ民族の文化であって、和人社会には馴染まない、とおっしゃる方もおられるでしょう。事実、明治政府はアイヌに対して同化政策、つまりそれまでの文化・習慣を捨てて和人になれと命じました。アイヌの豊かなエゾシカ文化は、そこで徹底的に破壊されたのです。
 でも和人は農耕民族で、和人社会が狩猟と無縁だった、というのは、じつは現代人の思い込みに過ぎません。
 この本では「「日本人は狩猟民族じゃない」は本当か」という節を設けました。――チョーハツ的ですよねえ。
 それは後でゆっくりお読みいただくとして、持ってきたのは原田信男著『歴史のなかの米と肉―食物と天皇・差別 』です。千年くらい昔の日本社会について、原田さんはこう述べています。

(……引用略)

 農耕民族だったから狩猟しない――んじゃありません。コメを国家の資本にするために、権力者が民衆に狩猟を禁じたんです。
 でも、考えてみてください。科学技術の発達した現代でさえ、畑を荒らす野生動物は農家のカタキです。まして当時、農業を成立させるには、そんなカタキに無関心でいられるわけがありません。
 この武井弘一著『鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで 』という本は、こう述べています。

(……引用略)

 農耕民族だから狩猟は性に合わない、というのは間違いで、農耕民族だからこそ狩猟民族でもある、と言うべきなんです。
 利用・活用の技術も、非常に洗練されていました。1300年も昔の奈良時代の宝物が保管されてきた場所があります。正倉院宝庫です。21世紀になって史上初めて、宝庫内の皮革製品が科学的に調査されました。専門家チームが1品ずつ、何の動物か、どんな加工が施されているか、保存状態はどうか、何年もかけて慎重に調べたそうです。調査団チーフの出口公長さんの報告書「正倉院宝物に見る皮革の利用と技術」(正倉院紀要 28)を読んでみましょう。

(……引用略)

 現代の製品で、1300年経っても美しいままというものは、いったいいくつ残るでしょう?


4 新しいエゾシカ文化

 このように有史以来連綿と、われわれ人類が野生動物やシカたちと濃密な関係を維持してきたことをお分かりいただけたと思います。「農耕民族だから狩猟とは無縁」と思われがちな和人社会もじつは例外ではなく、非常に高度な技術や文化が発達していたのです。
 ところが残念ながら、北海道ではこの関係性が19世紀末から20世紀にかけて、いったん途絶えてしまいます。もういちど、エゾシカ協会のパンフレットを読みましょうか。

〈明治初頭、北海道開拓使が外貨獲得のためにもくろんだシカ革やシカ肉の大量輸出計画は、非常な乱獲を招きました。運悪く豪雪にも見舞われて大量餓死が重なり、エゾシカは一時、絶滅寸前にまで激減したのです。政府は方針をシカ保護に切り替え、昭和中期まで続く長い禁猟時代が始まります。〉

 この間に自然保護運動が長足の進歩を遂げます。高度成長期からバブル期にかけて、日本列島の公害や環境破壊は本当にひどかったので、それをまず食い止める必要がありました。でも自然保護という言葉が社会化する過程で、野生動物=保護すべき弱者、という単純化も進んでしまいます。たとえばエゾシカのような「食べられ役」の動物を保護してばかりでは、かえって生態系全体の健康を損なってしまう、という視点が忘れられてしまったんです。
 その結果、南北問題とでも言うべき対立が生じてしまいました。これ、16年前に書いた『北海道ワイルドライフ・リポート』という本ですが、ヒグマの食害に悩まされている夕張のメロン農家さんのコメントです。

(……引用略)

 濃厚な接触なしに、離れた場所から「野生動物を守れ」と言い募る都会人、つまりインタビュアー(私)に対して、非常な不信感が生じていました。
 そこで行政の出番です。同じ本からもう1カ所引用します。

(……引用略)

 そうして実際に始まったのが北海道のエゾシカ保護管理計画です。もう一度、パンフレットをご覧ください。

〈北海道は1989年ごろから、シカの侵入を防ぐ長大な柵で農地を囲んだり、それまで保護してきた雌ジカの狩猟を解禁したりといった対抗策をとりはじめます。97年には全国に先駆けて「エゾシカ保護管理計画」を策定。総合的な科学研究に基づいて対策を更新しながら、人間活動とシカとのあつれきを軽減するとともにシカの安定的な生息水準を確保する――というのが究極の目的です。「増えすぎたシカ」を半減させるべく、年間6〜9万頭の捕獲実績を上げてきました。〉

 ところが、冒頭でも言いましたように、あつれきはなかなか減りません。現状では、シカの数を目標通りに半減させるどころか、これ以上増えないように押さえつけるので精一杯、というところでしょうか。
 それを直視せずに同じことをダラダラ続けて成果が出ないなら、無駄な公共事業と言われかねません。最初に言うのはわれわれジャーナリストですけれど。
 で、関係者は知恵を絞ります。大泰司さんはそのリーダーの一人です。当時、大泰司さんとジャーナリストの本間浩昭さんが執筆された『エゾシカを食卓へ―ヨーロッパに学ぶシカ類の有効活用』から引きましょう。

(……引用略)

 せっかく捕獲したシカは美味しいのだから、ありがたくいただくことにして、その収益を被害地域に還元させる仕組みを作ろう、というアイディアです。
 「エゾシカの有効活用」という言葉を、とくに行政関係者は今もよく使いますが、15年前まで、駆除したエゾシカから肉を取って売るのは御法度で、自分で食べる以外はすぐに地中に埋めるようお達しが出ていました。つまりごみ扱い。それを改めて活用するというので「有効活用」という言葉が浮かんだんでしょう。
 それは、さっきも言いましたように、昭和時代のほぼ全期間にわたって、エゾシカ文化が断絶していたせいです。この間に、私たちはエゾシカのことをごみ扱いしかできなくなっていました。
 これ、すごく不幸なことです。そこで、その固定観念を覆そうと、1999年に結成されたのがエゾシカ協会というわけ。一定量の品物を継続的に消費していくためには、経済化が欠かせません。そこで、事務局長の井田宏之さんがいわばセールスマンとなって、道内外にエゾシカ製品の流通経路を切り開いていったのです。ちょうど10年経って昨年ようやく、滝川市や札幌のスーパーマーケットでエゾシカの精肉が通年販売され出しました。「シカ=ごみ」の固定観念を覆すのは、それほど時間がかかることでした。
 エゾシカ協会のこの間の大きな成果のひとつは、「推奨エゾシカ肉制度」の確立です。
 みなさん、いま食料品を選ぶとき、何に一番気をつけますか? 放射性ヨウ素の値?
 スーパーなどの仕入れ担当者は、その肉なり野菜なりがどこからどういう経路で運ばれてきたか、はっきりしていないものは仕入れないそうです。トレーサビリティというやつです。もし食中毒などの事故が起きたとき、誰に責任があるか、たちどころに突き止められるよう、コードで管理する方法です。O-157事件やBSE騒ぎ、食品偽装事件などを契機に導入され、普及してきました。消費者も、食品の産地に非常にこだわるようになっています。
 野生のシカですから、どこで生まれたかまでは分かりませんが、ハンターが仕留めた後、どこで食肉処理されて売り場に来たのか、経路をはっきりさせる仕組みを、エゾシカ協会がシステム化したのです。北海道が作ったエゾシカ衛生処理マニュアルと補完し合って、安全で安心なエゾシカ肉がスーパーなどで売られるようになったんです。
 こうして食卓に上るようになれば、しめたものです。われわれが食事に寄せる関心は、並みではありませんからね。「食べる・食べられる」という関係が、野生動物と人間との関係の度合いの中でもっとも濃密だということは、原始時代と変わりません。
 そこから文化が育まれます。今までお話ししてきたように、シカと人間は有史以来のとても長いおつきあいで、いろんなエピソードにこと欠きません。昭和時代にいったん切れてしまった関係も、いまこうして再び切り結ぶことによって、その過程自体をひとつの物語として語ることが出来ます。こうしたストーリー性は、文化をいっそう豊かにします。
 魚介のことを「海の幸」、山菜やキノコを「山の幸」といいますね。それと同じように、エゾシカを「森の幸」と呼べたらと思って、本書にこのタイトルを付けました。
 イワシやサンマやカツオは野生動物です。山菜やキノコも、最近は栽培ものを買えますが、「山の幸」という時は自生しているものをさすでしょう。そうした野生のものは、好漁の時もあれば、不漁の年もあります。自然の恵みとはそういうものです。時に海は津波となり、山は噴火もして、大きな災厄をもたらすこともあります。けれど私たちは、そんな自然環境に適応しながら生きていくしかありません。
 ちょうど、きのうの道新のコラムでニシンの話題を載せたのですが、沿岸のアイヌ民族は毎年いま時分、パイカラ・カムイノミというニシン漁の豊漁を願う儀式を執り行なっていたそうです。祈り、願い、希望――。そういった人間の思いもまた、その土地土地に豊かな文化を育みます。
 この「森の幸」=エゾシカもそう。明治期の記録にあるように、越冬地を豪雪とか極低温が襲えば、いっぺんにシカの大量死を招く危険は常にあります。そうなったら捕まえてシカ肉を食べるどころか、それこそ手厚く保護しないと絶滅するかも知れません。けれどそれも自然界です。
 いまは、そのシカたちは大きな群れとなって私たちの前に現れてきています。私たちはこれを「100年ぶりの豊漁でラッキー」と喜び合い、ありがたくいただくことができます。「森の幸」のサチは、幸福の幸です。
 ――と、こんなふうに言うだけでは無責任に聞こえてしまいますね。人間の欲望が天然資源を食いつぶしてしまった例は枚挙にいとまがありませんから。でも、ことエゾシカに関しては、じつは「食べることは守ること」につながっているのです。特別サービスで、本書から読みます。

(……引用略)

 いかがでしょう? みなさんの心が、自分もエゾシカともうちょっと深く関係してみたいな、と少しでも動いたとしたら、とてもうれしいです。
 ご清聴をありがとうございました。


2011年3月28日にウェブサイトにアップしました

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