第41回全道高等学校理科研究発表大会(2002年10月9日、北海道滝川市文化センター)講演予稿

自然環境保全――ぼくたちができることは?

平田剛士(フリーランス記者)

 みなさん、こんにちは。ようこそ滝川にいらっしゃいました。ぼくはこの近くにすんでいる平田剛士といいます。みなさんにとっては午後からの研究発表会が本番ですよね。きょうこれから発表される人はもう、ドキドキして、人の話なんか聞いてられないと思うんですが、まあそういわずに少しつき合ってやって下さい。ぼく自身、フリーライターという職業で、ものごとを取材して原稿を書く、というのが本職です。だから、こうやって大勢の人たちの前でお話しすることはもう、めったにありませんので、上手に話せるかどうか、ドキドキしてるんですけど。物理部、化学部の部員さんたちの前で話すというのも、もちろん初めてですけれど、みなさんの前でお話しするチャンスなんてそうありませんから、せいいっぱいお話ししようと思います。一時間ほどもあって、授業時間より長いんですけど、まあテストに出るわけでもないので、リラックスして聞いていてください。

 質問があったら途中で止めてもらってもいいですし、最後に少し、質問とか、意見交換の時間を持てればと思っているので、そのときでも結構です。

 今回、みなさんにどんな話をしようかなあと考えて、自分の高校時代を思い出していました。生物部とか化学部とか、たしかにあったんですけど、でもなんかこうパッとした印象がない。当時はやっていた言葉でいうと、根暗なヤツが入ってるのが物理部、生物部、化学部、というふうなイメージしかないんですよ。写真部も暗かったけど。とくに物理部は、顧問がすごい厳しいというか陰険というか、そういう先生だったんで、近づきがたいというのもありました。化学部のほうは、これはホトケの牧野先生というかたが顧問で、実はぼくの2年の時の担任だったんですが、ぼくはこの時期、成績が急に落ちちゃってて、化学準備室に呼び出し食らっていつも小言をいわれてたんで、あんまり好きじゃなかったんです。まあ、逆恨みなんですけどね。

 成績が落ちた理由というのは、ひとつは部活にのめり込んであんまり勉強してなかったこと、ぼくは同じ文化部でもブラスバンド部員でした。ブラスではフルートを吹いていて、でもジャズが好きでサックスも吹き始めて、ラジオからエアチェックしたテープをすり切れるくらい聴いて真似したり、まあぼくもオタクでネクラな高校生だったわけです。ブラスバンドに女の子はいたけど、失恋してばっかりでしたし。

 熱中したもうひとつは魚釣りで、夏の晩なんか夜な夜な川に出掛けてました。ぼくは富山市に住んでいて、町の真ん中を神通川という川が流れています。川で夜釣りというとなんか怪しいんですが、河川敷に大きな沼が出来ていて、そこにライギョという魚がいたんです。これを釣るのに熱中したんですね。なかなか釣れないんだけど、釣れたら大きい。50センチくらいあるんです。すごいヒキなんですよ。

 このライギョという魚、あとで詳しく話しますけど、移入種のひとつです。移入種が在来の生態系にすごい悪影響を与えているんだ、というのをこのまえ取材して、「エイリアン・スピーシーズ」という本を書いたのですが、高校生だった当時のぼくは、まだそういうことには気づくことができなかった。でも当時の体験が二〇年たった今につながっているというのは、最近ひしひし感じてます。

 いまでこそ、こういう本を書く仕事をしているわけですが、高校生の時は、マンガと釣りの本以外は本はほとんど読みませんでしたね。SFなんかも読まなかった。これはいますごく後悔していて、どうしてもっと早く本を読む面白さに気がつかなかったんだろう、と。今になって『ハイペリオン』とか『十二国記』とか読んだりして。あ、当時は小野不由美はまだ出てなくて、でも氷室冴子とか小松左京、筒井康隆とかは全盛期だったと思います。ぼくは普通科の理系だったんですが、本の面白さにもっと早く目覚めていたら文系に進んでいたかもしれません。

 でも理系に進んで良かった面もある。それは、実験とか観察を積み重ねて、そうやって積み重ねたデータから正しい答を導き出すという科学の方法を、学校にいるうちにみっちりトレーニングできたからです。このまえ、滝川高校の生物部の顧問の名苗先生に、去年のこの大会で発表された研究の成果を見せていただきましたが、化学部とか生物部とかのみなさんはすでにこういうメソッドに沿って研究を進めておられるわけで、これは大きなアドバンテージだと思います。ぼくの生物部とか化学部に対するイメージは少し、変わりました。

 じゃあちょっとOHPを使ってお話を進めましょうか。みなさんはいま一七歳ですか、一八歳ですか? みなさんが生まれたとき、ぼくはもう二〇歳になってましたが、みなさんもいちおう昭和生まれですよね? 同類だ。

 みなさんがまだ幼稚園にも行っていないころ、ぼくが二一歳だった一九八六年四月二六日に大きな事件がありました。チェルノブイリ原発の爆発です。

 詳しい説明をすると日が暮れてしまいますが、四つ並んだ原子炉のうち、三年前に運転を始めたばかりの新しい四号炉が格納容器もろとも吹き飛んだんです。調べてみたら信じられない人為ミスで、原子炉を自動停止させるためのシステムの電源を、原子炉が停止する前に切ってしまってたんです。チェルノブイリは当時のソ連、いまのウクライナという国の北部にあって、もうヨーロッパのすぐ隣です。この爆発で現場周辺が汚染されただけでなく、原発から空中に吹き出した大量の強い放射能がヨーロッパ全体に降りました。現場近くの人たちがたくさん亡くなりましたし、家畜や農作物が汚染されて食べられなくなったり、それはひどい影響が出て、いまも後遺症が続いています。日本に輸入されたイタリア産のスパゲティとかフランスのワイン、チーズなどからも放射線が検出されて、大騒ぎになったりもしました。反原発運動が世界的に起こって、道内でも大きな集会とかデモ行進とかあったんですよ。札幌の大通公園とかね。北海道では積丹半島の向こうの泊村に初めての原発ができかけていた時期で、札幌の大通にある北海道電力の本社前でデモ行進したんです。原発はいったん事故が起きたらだれも逃げられない。みなさんのお父さんやお母さんも、これからこの赤ちゃんが安心して生きていけるのかって、さぞ不安だったと思います。

 このチェルノブイリ事故をひとつのきっかけに、世の中で地球環境の問題が大きくクローズアップされていきます。ぼくは当時、北大の工学部の機械科に入っていたんですけど、やっぱりチェルノブイリ原発の事故から「このままエンジニアになっちゃっていいんだろうか?」って悩むようになって、ほとんど就職を先延ばしにするためだけに大学院を受けて、何とか受かったんですけど、もうエンジニアリングの講義を受ける意欲は失ってました。メーカーに就職して原子炉の設計者になるかわりに、むしろ科学系のことを書くジャーナリストになろうと決めたんですが、新聞社の入社試験にことごとく落ちて、でも最後に札幌の小さな新聞社が拾ってくれた。そこで三年ちょっと修行して、二六歳のときにフリーライターになったんです。

 どうも話が脇にそれちゃってすみません。自然環境保全の話をしなければ。

 ぼくは20世紀のことを「環境破壊の世紀」だったと思っているのですが、同時に20世紀は間違いなく「サイエンスの世紀」でもあって、でもそれが必ずしも大成功ばかりだったというわけでなく、チェルノブイリの爆発事故が示唆しているように、ある部分ではサイエンスを盲信して何でもかんでも人間はやりすぎてきたんではないか、と思うのです。その反省をすべき時期が、いまなんではないかと思うんです。

 でもまあ、いくら昭和時代生まれとはいえ、まだ若いみなさんに反省を求めるというのは酷ですが、「あんたたちがやったんだから俺たちもやっちゃっていいだろう?」とは考えずに、ぜひぼくたちの世代を反面教師にして欲しい。「あいつらは間違った。でもぼくらはあんな過ちは犯すもんか」というふうに考えてもらいたいのです。

 ぼくは太平洋戦争をあとから学んだ世代です。ベトナム戦争も湾岸戦争も最近のブッシュの戦争も、同時代的であって日本も無関係ではないけれど、幸か不幸か戦場からは遠かった。でも太平洋戦争の反省として反戦平和ということをまわりの大人たちから叩き込まれてきて、いつも戦争や国家暴力には絶対反対の立場です。チェルノブイリエイジのみなさんたちにはこれから、ぜひ環境保全・生物多様性保全の信念を持って大人になっていただきたいと思うのです。

 21世紀を迎えて、前世紀を反省しなければならないといいました。じゃあ、これまでのいったいどういうところが悪かったのか。そういうのを調べ上げるのはジャーナリズムの仕事のひとつです。

 地球環境問題もこういうふうに多岐にわたっていますが、ぼくがいま取りかかっているのは自然環境の保全のことです。環境破壊はもちろんヒトの命にも直接的に関わる問題ですけど、じゃあヒトさえ平気なら何をしてもいいのか、というとそうではないでしょう。何年か前、巨大な核融合実験炉を苫小牧の工業用地に誘致しようという動きがありました。いまの原発は核分裂反応から熱エネルギーを取り出していますが、核融合では水素原子を融合させて熱を取り出す。原理が違って、その技術は非常に難しく、核融合発電の実用化は不可能ではないかと言われています。けど、その実験のためのプラントを苫小牧に持ってこようとしたんです。

 融合させるのは、水素は水素でも、原子核に余分な中性子が一個くっついた質量数2の重水素と、中性子が二個くっついて陽子と合わせて質量数が3、ふつうの水素の三倍の質量数を持つ三重水素、トリチウムです。トリチウムのほうは放射能で半減期12・3年かけてベータ崩壊します。ベータ線というのは電子線のことですよ。テストに出るよ。これは空気中でもかなり長い距離を飛んで、生き物の細胞の遺伝子を傷つけます。そういうトリチウムを一キログラムくらい、実験用に使うというんです。一キロって大したことないと思われるかもしれませんが、水素ですからね。放射能でいうと三五京八〇〇〇兆ベクレルですよ(一ベクレルは毎秒一回崩壊)。ところが核融合炉を推進したいある学者はこう言いました。「一九七〇年代の核実験で大気がもっともひどくトリチウムで汚染されていた時代をわたしたち人類は生き延びてきたんです。核融合の実験炉程度のトリチウムなんて、気にすることはありませんよ」って。みなさんはどう思います? ぼくはひどい話だと思った。それに、この学者さんはヒト以外の自然環境への配慮が全くないんですよね。

 「生物多様性」という言葉を聴いたことがみなさんもあるかと思うのですが、ヒトはヒトだけで生存できているのではない。ヒトへの影響がハッキリ出てくるもっと前に、自然環境への悪影響のほうが先に表れてくる場合が多いのです。

 そうした徴候を見つけるのはたいてい、フィールドで観察を継続している人たちです。研究者さんの場合もあれば、アマチュアのナチュラリストさんの場合もあります。少しスライドを見ながら、最近取材した例をご紹介することにしましょうか。

 これは、ここから富良野に向かう途中の芦別市の崕山という山をのぼっているところです。でもずいぶんひどい道でしょう? 実は登山道ではなくて、沢筋を登っているんです。崕山は、標高は1066メートルで、決して高い山ではないんですが、高山植物の宝庫で、とくに石灰岩植物という植物群落はほかではあまり見られません。ところが登山者がどんどん入り込んで、ずいぶん環境が荒れたのです。

 それで、地元の山岳会の人たちが中心になって、三年前から入山禁止にしました。ただ、学習登山会といって年に三回、三〇人ずつだけ、抽選で選んで、前の日にちゃんと環境のことを勉強してから登山できるようにしていて、これは去年、ぼくも抽選に当たって参加したときの写真です。6月でしたが、エゾノリュウキンカ、エンレイソウ、これは珍しい緑色のエンレイソウです。それから、頂上付近にはアポイアズマギクというかわいい花が咲いていました。

 登山は人気あるスポーツで、だれでも気軽に登る権利があると考えられがちでしょう? でも一人一人は気がつかなくても、年に何百人も登ったら固く踏み締められて、生きられなくなる生き物もいる。それくらい弱々しい環境なんです。だからこそみんな、行きたがるわけですけど。オーバーユースというのですが、これをどう防いでいくのかというのがいま、試行錯誤されているところです。

 今度は沖縄県です。名護市の太平洋側、汀間という集落の港から、東恩納さんという方にボートに乗せてもらって海にでました。この海にジュゴンという海棲哺乳類がすんでいるのですが、沖縄の群れはもう絶滅寸前で、なんとか助けられないかと懸命に模索されています。ところがこの海を埋め立ててアメリカ軍の大きな飛行場が作られようとしています。

 また飛んで、これは滋賀県の琵琶湖という湖です。この魚、見たことありますか? これがブラックバス、ラージマウスバスです。ぼくも驚いたのですが、琵琶湖はいま、ほんとうにこのブラックバスと、ブルーギルに占拠されかけています。移入種問題というのですが、本来そこにすんでいなかった生物を、人間が持ち込んでしまった結果、住みついて、繁殖して、もとの在来生物の生態系を大きく歪めてしまうことがある。ブルーギルとかブラックバスはその典型例です。昨年以来、北海道でもブラックバスが見つかって、いったん増えてしまったらもうお手上げなので、片っ端から駆除してますが、それでも放流する人がいるということは、移入種問題がまだまだ世の中のみんなにちゃんと理解されていないということですね。移入種の何が問題なのか、というのは、ぼくの本にも詳しく書いてありますので、どうぞ読んでみて下さい。

 さて北海道に戻って、これはエゾシカです。道北の西興部町で去年、撮影したものです。立派な雄ですね。シカは角があるのが雄ですよ。ここ20年くらいでエゾシカは数がすごく増えて、道東を中心に、20万頭くらいいるのではないかと考えられています。数年前まで、農業被害が五〇億円、森林被害や交通事故も多発して、社会問題になりました。でも、五年前にワイルドライフマネジメントが始まって、個体数のコントロールがおこなわれています。いまはあまりにも数が多すぎるので、狩猟の規制を緩和して、一日に一頭だったのを二頭、雄しか捕れなかったのを雌も捕れるようにして、シカの数を減らしているところです。シカは放っておいたら毎年15パーセントずつ増えるくらい繁殖能力が高いのですが、増える分以上に捕獲圧力をかけて、少しずつ減少させています。

 これは撃ったシカを解体しているところです。このとき使ったライフルの弾はもちろん銅弾ですよ。鉛弾で撃って、その鉛が残ったシカの死体を放置しておいて、それをワシが食べて中毒死しているというのを、ニュースでご覧になったことがあると思いますが、そういう問題も抱えています。解体にも方法があって、恥骨のところからナイフを入れて、皮と皮下脂肪を切り裂いていくと、内臓が表れてきます。ぼくは生物学を学んでいないんで、哺乳類の解剖の経験がなかったんですが、本当にきれいでね。このシカは二歳でしたけど、体重は約一〇〇キロで、草食獣が二年でこんなに大きくなるなんて、本当に不思議ですよね。スライドはこれでお終いです。
 
 そろそろまとめの時間ですね。自然環境をなぜ保全しなくちゃいけないのか、と考えると、人間の活動が自然環境を壊しているから、というひとことに尽きると思います。とすると、環境を保全するためには人間の社会活動のやり方を少し方向転換する必要がありますよね。これはみなさんご自身でも考えて欲しいのですが、めざすべきひとつの方向として「サステイナブルな社会」を実現するという考え方があります。「持続可能な社会」ですね。せんだってのヨハネスブルクの環境サミットでもこれが大きなテーマでした。
 エネルギー関係なら、化石燃料を燃やしたり原子炉を動かす代わりに、たとえば風車を作る。その名も再生可能エネルギーと呼んでます。あるいは自動車も燃料電池で動かす。またいっそ、鉄道を再評価する。また農業だと農薬や化学肥料を使わずに有機農業に転換する。そういった方向です。

 自然環境保全の場面でサステイナブルなやりかたに、ワイルドライフマネジメントがあって、一口でいえば「相手の群れの状態を生態学的にモニタリングしながら、絶滅させないように、あるいは増えすぎないように、人間側の対策を決める」というものです。エゾシカのワイルドライフマネジメントは日本でもかなり進歩的なものですが、この運営ひとつみても、高度な専門知識とたゆまないモニタリング、情報公開と合意形成がおこなわれています。

 つまりサステイナブルな社会というのは、決して掛け声だけで実現できるものではなく、最初から最後まで綿密な科学的裏付けがあって初めて成り立つものなのです。

 これからみなさんが各分野でプロの研究者をめざされるにせよ、そうでないにせよ、このサステイナブルな社会というものにぜひ挑戦してみてください。今日のぼくのお話が少しでもみなさんに影響を与えることが出来たとしたら、うれしいです。どうもありがとうございました。

(2004年12月8日にウェブサイトにアップしました)

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