2008年7月12日、滝川市美術自然史館特別展「化石展・MESSAGE〜太古からの警告〜」ギャラリートークでの講演草稿

あなたの隣のワイルドライフ
 ―なぜエゾシカは激増したのか

平田剛士(フリーランス記者)

 滝川市美術自然史館の特別展「化石展・MESSAGE〜太古からの警告〜」のオープニングイベントで、このようにみなさまの前でお話しする機会を与えてくださって、ありがとうございます。

 美術自然史館のシンボル、巨大なタキカワカイギュウ君がこの場所で生涯を全うしたのは、今から500万年ほど前だそうです。当時の地球はとても温暖で、海水面が今よりずっと高く、ホモ・サピエンスの登場はまだまだ先のことです。その後、気候はゆっくり寒冷化し、氷期がやってきて、海岸線が後退して陸地が増え、また少し温暖化しては岸辺が水没し……といったことを繰り返してきたのだということは、この美術自然史館が詳しく教えてくれていますが、こうした長期間にわたる地球の気候変動を教えてくれるのが、動物や植物の化石たちです。
 と同時に、動物や植物の化石は、人類が誕生するずっと昔から、この地球上には生命があふれていて、そんな連綿と続く生命の歴史の結果として、いま目の前の生態系があるのだ、ということを改めて教えてくれてもいるのです。

 自己紹介が遅れましたが、わたしは、いま現在の北海道や日本の各地で起きている野生動物と人間社会のあつれきについて、取材して記事を書いているライターです。きょうはですから、いま現在の北海道に生息している野生動物――ワイルドライフ――のことをお話ししようと思いますが、500万年前のカイギュウ君と無関係かというと、そうではありません。無関係どころか、強く強く結びついているんです。

 まず、北海道でお馴染みのエゾシカのことをお話ししましょう。シカの仲間は世界に数多く、祖先種は陸伝いに生息域を拡大しながら、気候風土の影響を受けて種分化、つまり進化を遂げてきました。日本列島では20属もの偶蹄目動物の化石が見つかっていて、温暖期にはホエジカとかサンバーのような、いま東南アジアやアフリカで見られるようなシカが住んでいましたし、寒冷期にはバイソンやヘラジカといった、いま北米大陸やシベリアなどでしか見られない大型動物が勢力を伸ばしてきていたようです。
 でもいま日本で見られる野生の偶蹄目と言ったら、ニホンジカとカモシカとイノシシの3種だけ。北海道にはニホンジカの仲間のエゾシカしか生息していません。長い進化と生態系変化の旅の、いま現在の、つまり最先端部分を、われわれは見ているというわけです。

 生態系はこのように絶えず変化し続けているものなのですが、いま申し上げた数百万年のスケールでの変化と、ここ最近100年とか50年とかの間の変化を同列には扱えません。なぜかというと、生命の進化の歴史の長さに比べれば1世紀なんてほんの一瞬に過ぎないということ以外に、この100年なり50年なりの間の、このそうとうに急激な変化は、多くがわれわれヒトのふるまいによってもたらされたものだからです。

 エゾシカはニホンジカの亜種という位置づけで、日本列島のほかの地域に住むニホンジカ亜種――ホンシュウジカ、キュウシュウジカ、マゲシカ、ヤクシカ、ツシマジカ、ケラマジカに比べて、最も大きなシカです。
 角が生えているのは雄です。よく角の枝分かれの数が年齢と同じだと言われたりしますが、実は必ずしもそうではありません。シカの年齢を正確に測定するには、歯を抜いて、薄くスライスして年輪を数えるというやり方があります。
 シカは季節移動する動物で、ユーラシアや北米大陸ではトナカイやカリブーが大集団を作って延々と旅していくシーンをご覧になった方もおられるでしょう。エゾシカも夏と冬とで住み場所を変えていて、やはり季節移動することが確かめられています。

 さて、昨日のことですが、朝7時ごろ、息子の通う小学校の連絡網が回ってきました。シカが出没しているので注意して登校するように、という連絡でした。市役所前の通りでも目撃されたようです。
 それから、けさの北海道新聞にこんな記事が掲載されていました。北空知地区でエゾシカによる農作物の食害が増加している、という内容です。
 1980年代には、エゾシカは道東をドライブするとよく道路に出てくる動物の代表でした。でもいまでは道東まで行かなくても、ここ空知地方はもとより、道南の渡島半島、道北の宗谷地方でも普通に見られるようになりました。エゾシカは1980年代ごろから爆発的に増えて、90年代になると生息域も全道に拡大し、各地で深刻な食害――農作物や森林を食い荒らしてしまうこと――を引き起こしています。

 なぜこんなに急に増えたのか。
 シカはもともと増えやすい動物だ、というのも大きな理由です。研究者さんたちの調査では、いま北海道の雌エゾシカたちは2歳で成熟し、毎年1頭ずつ出産しています。雌成獣の妊娠率はほぼ100%です。環境に余裕があれば、年率20%で増加し続ける動物、それがシカなんです。
 でももう少し長い期間を見てみると、シカは単に増え続けてきただけではありません。年配のかたはご存じだと思いますが、20世紀の前半には、シカは絶滅寸前の珍獣だったんです。それ以前、19世紀の後半には、もしかすると今以上のシカがいたと考えられます。

 シカは狩猟対象獣ですし、こんなに激しく減ったり増えたりするのは自然保護の立場からもゆゆしき事態だと言うことで、18世紀、19世紀にも人間はいろいろ対策をしてきました。と言っても非常に単純で、増えてきたら解禁、激減したら禁猟。その2パターンです。おまけにこの間、シカのこととは全く別次元で、森林開発と農地造成が進められました。それが1980年代ごろからのシカの爆発的増加と激甚災害並みの食害を招いた、と今では評価されています。林縁性動物と言われるシカにとって、森林を分断する林道や、新しい畑は、このうえない魅力的な餌場に映ったことでしょう。おまけにエゾオオカミは滅ぼされ、しかも禁猟で、人間のハンターたちもやってこない。おかげでシカは爆発的に増えたのです。
 つまり、このほんの100年ほどの間に、それまで連綿とバランスを保ってきた北海道の森林生態系を、大きく崩してしまった。それがあつれきとなって、いま私たちの目の前で起きているのです。これは人間にとっても、シカにとっても、また生態系全体にとっても非常な危機です。

 北海道では1995年からエゾシカ保護管理計画といって、崩してしまった生態系のバランスを何とか復元できないかと、保全生物学に基づいた取り組みが始まりました。地域ごとに適正な生息数を見出し、そこに向かって個体数を調整する、というものです。コンセプトは世界最先端と言えるでしょう。
 ですが課題も少なくありません。個体数調整の実務を担うハンターの高齢化と減少はそのひとつです。
 またシステム全体をスムーズに動かすには、経済の視点も欠かせませんが、どうすればエゾシカ保護管理が地域活性化に結びつくか、北海道ならではのシカのお肉をおいしくいただく「有効活用」など、さまざまな模索が続いているところです。
 
 さて、エゾシカは北海道特産の動物です。タキカワカイギュウ君とともに、この地で生物進化の長い旅を続けてきたメンバーの生き残りでした。しかしここにいきなりよそから強力なエイリアンが入り込んできたら、進化の歴史はどうなるでしょう?
 アライグマはまさにそんなエイリアンです。もたらしたのは、そう人間です。

 アライグマは、もともとはカナダ南部から中央アメリカにかけて分布する食肉目の動物です。それがいまでは世界中で見られるようになりました。
 北海道では1979年、最初の「脱走」が恵庭市で起きたといわれ、現在では全道で野生化個体が確認されるようになっています。

 北海道と本州の間の津軽海峡は、最も深い場所で水深が132mもあって、もっと浅い宗谷海峡(北海道とサハリン島の間)に比べると、海水面が下がる氷期にも陸橋はそれほど長い期間はつながっていなかったようです。そのことは、いま津軽海峡を挟んで哺乳類の分布ががらりと異なっている理由になっていて、この境界線はブラキストン線と呼ばれています。
 つまり北海道の哺乳類相は、あたりが暖かい海だったカイギュウ君の時代から気候変動、地殻変動を経てじっくりゆっくり形づくられてきたのですが、そこにアライグマは30年前に連れてこられて、一気に野生化し、いま生態系の構成員になってしまいました。

 でも、こうした外来種は在来の生態系に大きな影響を及ぼさずにいられません。新しい病原菌を媒介し、同じような環境を好む在来のキツネやタヌキと競合し、何より在来の小動物を捕食します。アライグマの侵入によって特定の種類の昆虫が姿を消してしまった例や、襲撃を受けたアオサギがコロニーごと放棄してしまった例が報告されています。

 でもこれもやっぱり、元をたどれば人間が原因です。いま、どれくらいの動物が輸入されていると思いますか? 貿易統計を見ると、1年に5億3000万匹もの動物が日本に輸入されています。もちろん、このほとんどは死んでいるでしょう。でも生き残るものもいます。
 例のブラキストン線を境に淡水性のカメ類がずっと侵入できないでいた北海道ですが、いまはカメが生息しています。ミドリガメと呼ばれるミシシッピアカミミガメは、北米大陸原産ですが、やはり世界中に輸出されて、ことごとく野生化を果たしています。去年の秋、三笠町の幾春別川では、体長50センチあまりのワニガメが見つかりました。アメリカ南部原産のカメです。
 いまから10万年後、もし考古学者が北海道を発掘してカメやアライグマの骨の化石を見つけたら、「ありえない」って、首をひねるかも知れません。

 ワニガメやアライグマは侵略的外来種と呼ばれ、生物多様性条約には、これらの動物はすみやかに排除するようにと、書いてあります。地域固有の生態系、もっといえば、その地域のたゆまない進化の歴史に大きな影響を与えるからです。
 そんなアライグマに対して北海道は2003年に「アライグマ対策行動計画」をつくり、2011年までに排除するという目標を立てました。この計画にもとづいて、これまで捕殺されたアライグマは8000頭に及びます。しかしこの数字は、ようやく目標捕獲数の半分に達するかどうかというレベルです。いったん招いてしまった外来種問題を解決することの難しさを、このケースはよく表していると思います。

 自分たち人間が、この北海道の生態系、つまりたゆまない生物進化の長い歴史に棹さすようなふるまいをしてしまっているんだということを、しっかり自覚することが大事だと思います。この化石展「MESSAGE〜太古からの警告〜」のテーマもまさに、そこにあるのではないでしょうか。そのうえで、自分のふるまいをどう変えるべきか、ぜひお考えいただければと思います。

 これで私のお話は終わりです。どうもありがとうございました。

(2008年7月14日にウェブサイトにアップしました)

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