「平成19年度高文連北空知支部新聞研究(春季)大会」用講演草稿
2007年6月25日 北海道滝川高等学校

取材のあり方を考える

平田剛士(フリーランス記者)

 みなさん、こんにちは。平田剛士です。きょうは、滝川高校、滝川西高校、深川東高校の新聞局の若いみなさんの前でこうしてお話する機会を与えていただいて、たいへん感謝しています。1時間半も頂戴したので、そうとう突っ込んだお話も出来るかと思います。「取材のあり方を考える」という大きなテーマを与えていただきましたけれど、実はわたし、体系的に「取材のあり方」を考えたことがなくて、この講演を企画下さった顧問の先生たちのご期待にどこまで添えるか分かりません。ただ、これまで曲がりなりにも20年ほど記者生活を続けてきましたので、ケーススタディと言いますか、自分なりの実践的なテクニックなども交えてお話ししたいと思います。まあ、テストに出るわけでもないですし、気楽に聴いていただいて、みなさんの活動にちょっとでもヒントになるようなものをつかんで帰ってもらえたら、と思っています。
 とはいえ、90分聴きっぱなし、わたしも話しっぱなしはツライので、途中、疑問点とか違和感とかがあれば、どうぞご遠慮なく質問してください。うまい質問をして相手にしゃべらせるというのは、インタビュー取材とか記者会見取材の基本テクですので、この場が記者会見場だと思って、どんどん手を挙げてくださいね。
 記者会見で思い出しましたけど、会見場には当然ながら同業者、つまり記者連中がたくさん集まりますよね。まわりはみんなライバルってわけです。そうしたなかで、自分がまっさきにじょうずな質問をして、会見相手がそれに答えて、何か見出しに取れるような――つまり重要でインパクトがあるってことです――コメントを出してくれたとき、まあ、えもいわれぬ優越感があるんです。他の記者連中に対して、「おまえらにはこんな質問、できねえだろ?」って。
 と同時に、しまった、とも思うわけです。自分は事前に下調べして、この相手からこのコメントを引き出すのにこの質問でいこうと準備してきたのに、どうもほかの連中は明らかにやっつけ仕事でちっとも下調べなんかしてなくて、気の利いた質問もせず、ただ相手のしゃべるのをメモしてるだけらしい。なのにオレがこの質問をして引き出した「見出しにとれるコメント」を、連中にもしっかり聴かれてしまった、と。他の記者の質問に対する答えをメモするのは、共同記者会見なのだから当たり前なのですが、やっぱりそういうサモシイというか、ヒジョーに狭量な心理状態にもなるんです。なんといっても抜いた抜かれたの世界に生きている人種なんですね。
 それで、記者会見では、とっておきの質問はみんなの前ではあえてしない、という場合もよくあります。いつ聴くかというと、会見が終わって、ほかの記者たちが帰り支度なんかをしている隙に、すすすっと相手のところに近寄っていって、「さっき質問し忘れたんですけど」って小声でささやきかける。コメントを独り占めしてやろうという作戦です。
 ところが、自分は下調べしてないくせに、他の記者のそういう抜け駆けはめざとく見つける記者も絶対います。本人が言うんだから間違いありません。いかにプロの記者といえども、いつもいつも自分の得意分野の取材ばかりやっているわけではありません。命じられればどんな取材だってこなさなければならないのです。下調べをきっちりしてきている専門記者のだれかが、会見が終わって、すすすっと相手に近寄っていくのを、そういう記者は見逃さない。だって、見出しにとれるコメントを、自分はまだ聴いていないんだから、恥も外聞もなく必死です。そっと背後から忍び寄って聞き耳を立て、しっかりコメントをメモに書き留めるんです。
 そういうオコボレを狙うコバンザメ記者にしても、それを一度経験してみると忘れないほどですけど、その敗北感といったらありません。でも、そういう敗北感が、その記者を育てるという場合もあるでしょう。
 といったように、記者会見場には記者同士のそういう複雑な思惑が渦巻いていると思って、テレビなんかを見ていただくと、記者会見の中継が何でつまらないのか――つまりオモシロイ質問は記者会見の後で個別に聞くから――がお分かりいただけると思うのです。
 話がそれましたが、、本題に入る前にもう少し時間をもらって、自己紹介をさせてください。いったいおまえは誰なんだと、さっきからみなさん、そう思っているでしょう? フリーライターにもさまざまあります。エッセイを書いたり、コピーを書いたり。コラムニスト、シナリオライター、放送作家、評論家、書評家もいるでしょう。最近だとブログやホームページを舞台に活躍しているライターも非常に多いと思います。
 そんななかで、わたしは、分類すると、ルポライターとか取材記者とか呼ばれる仕事をしています。わたしは自分のことをメディアの一部だというふうに思っていて、事件や出来事の現場に行き、当事者の方に直接お会いしてお話を伺ったり、背景を調べたりして、それをほとんど脚色なしに淡々と書きつづる仕事をしています。
 メディアというのは――正確にはミーディアと発音します――「媒体」というふうに訳されますけれど、英和辞典を引くと「mediumの複数形」となっています。miediumとは、第一義には「中間」「中間物」という意味だと出ていますね。AとBの間、レアとウェルダンの間、そして事件と読者の間にあるもの、それがミーディアなんです。そのミーディアたらんとしてきたわたしですが、おかげさまでいろいろな新聞や雑誌などに記事を載せてもらって、それらの記事をまとめるかたちで、これまで5冊(共著書を入れると6冊)の単行本を出すことが出来ました。
 これがそのリストで、とくに一番新しいこの本の題名は、ノートにしっかりメモして、きょう帰りにTSUTAYAに寄って、必ず買って帰るようにしてください。
 これらの本の題名から分かっていただけると思うのですが、わたしは、いわゆる環境問題を取材報道の大きなテーマにしています。もともと生態学とかに関心があったのですけれど、日本全体をみて、大型の哺乳類をこれほどよく見られる場所は北海道以外にありません。シカとかクマとか、野生動物と人間とのあつれきレベルも桁違いに大きいのが、この北海道の特徴です。そうした背景から、北海道では環境問題を研究する優れた研究者や専門家さんたちがたくさん活躍なさっています。1995年に出したこの「北海道ワイルドライフ・リポート」という本は、そうした研究者さんたちの活躍ぶりを描いた本ですが、以来かれこれ15年あまり、継続的にこの問題を追いかけてきました。
 一口に環境問題といっても分野は多岐に渡ります。公共事業と呼ばれる巨大プロジェクトが自然破壊している実態を調べたのがこの本。またゴミ問題のことをみなさんよくご存じだと思いますが、昨今はやりのリサイクル活動っていうのが、ほんとにゴミ問題の解決に役立っているのだろうか、というのを追究したのがこのウンコの本です。リサイクルがゴミ問題解決に貢献しているかどうか……皆さん、どう思います? 答えは……まあ、わたしの本を買って読んでみて下さい。
 これらの本は、予備知識なしにだれでもすらすら読み進めるように、と気をつけて書きました。つまり、わたしの読者は、専門家たちではなくて、あくまで一般のみなさんだということです。
 そこで記事を書くに当たっては、まず、その事件なり、ことがらについての概要とか、それまでの経緯とかを、初めて聞く人にも理解してもらえるように、きちんと説明をする必要があります。そうしたうえで、何が問題なのかをはっきり提示します。そのとき、筆者=わたしがなぜそれが問題だと思ったのかを説明しなくてはなりません。そのテーマについて記事を書こうと思った動機、といってもいいでしょう。ここまでの文章で、読者が「記者がそう考えるのももっともだなあ」と思ってくれたらしめたものです。たとえばこの文はどうでしょう。

 浮かない顔でどうしたんです、隊長? 「山のお花畑に行ったんだけど、あちこちに丸めた紙が捨ててあって、すっかり興ざめしちゃってさ」。そりゃひどい。でもこればっかりは生理現象だし…。良い方法を探してきます。
(平田剛士、2007年6月7日付北海道新聞夕刊おふたいむ「こだわり調査隊 山での用便マナー探れ」)

 今月頭の道新夕刊に書いた「こだわり調査隊」というコラムのリード部分です。調査隊の隊長が隊員に調査を命じる、という架空設定なんですが、リード文はほぼ100字と決まっています。このリードは句読点込みで102文字。さきほど言いました、事件の概要(経緯説明)と問題提起(執筆動機の説明)とを100字で書くのは結構たいへんですけれど、このリードで読者を記事の世界に引っ張り込むわけです。
 さあ、首尾よく引っ張り込んだとしても、肝心のお料理がなかなか出てこなかったり、不味かったりしたのでは、お客さまは途端に席を立ってしまいます。つまり読んでもらえない。記事にとっての美味しいお料理とは、言うまでもなく「有益な情報」です。それは、読者の空腹ならぬ知的好奇心を満足させる内容でなければなりません。さきほどの記事で言えば、リードで「良い方法を探してきます」と見えを切ったからには、言葉通り「良い方法」をお見せしなければ読者の期待を裏切ることになります。
 とはいえ、記者はシロウトです。そんなわたしがいくら独断であーでもないこーでもないと書いたところで、だれも見向きしてくれません。そこで、その道の専門家に協力を仰ぎます。つまり、これが取材です。
 この記事の場合だと、「山のトイレを考える会」というNGOの人たちに取材しました。何年も前から、この問題に取り組んでいる登山家たちのグループです。グループが公開しているホームページに事務局長さんのアドレスが載っていたので、まずメールをして、こんな記事を書こうと思って準備しているのだがインタビューさせてもらえませんか、とお願いして返事をもらい、改めて電話を入れて日取りを約束し、会いに行きました。
 すでにお気づきと思いますが、記事を書こうとする前に、まず取材相手ありき、なのです。記者が書きたい記事に合わせて取材相手を探すのではありません。だれか話を聞きたい相手がいて、その人物の話の内容を世の中の他の人たちにもぜひ関心を持って知って欲しいと思うからこそ、根掘り葉掘り取材をし、メモをまとめて原稿を書き、記事を新聞や雑誌や書籍、あるいはラジオやテレビ、インターネットなどを駆使して、自分がミーディア=その人物と読者の間に立つ媒介者となって報道する。これが取材記者の仕事です。
 まあ、そんなに大袈裟なことでもなくて、だれだってこういう気持ちになることはあるでしょう。へえーっと思うことに出合ったら、思わずだれかに伝えたくなるじゃないですか。「おとついの小谷野のホームラン、すごかったんだぜ」とか「今年の新聞研の講演は、ヒラタさんて人がすっごくいい話してサ」とか……。それをおしゃべりレベルからちょっと引き揚げて、記事に仕上げるのがわれわれの仕事です。
 この、自分の聴いた相手の話を文字にして読者に伝える、という目的を常に頭の中で意識していると、取材はたいてい、うまく運ぶのではないかと思います。さきほどの例で言うと、「山のトイレを考える会」の人には、ぜひ現状のひどさとか、活動の苦労を語ってもらいたい。それを記事に書けば、問題の深刻さを読者により伝えられると思うからです。あるいは、目標を達成するのに立ち塞がる壁のことを語って欲しい。それを書くことで、たくさんの読者が共感して、もしかすると壁が少しは低くなるかも知れません。
 でも、それって誘導質問じゃないの? と感じられたとしたら、あなたはジャーナリストの素質あり、です。相手の話を鵜呑みにしちゃダメですよ。常に「それってホント?」って、疑ってかかるクセを、ジャーナリスト志望の方は是非、身につけてください。ただし、友だちは離れていきますが……。
 さっき、「記事を書く前にまず取材相手ありき」だと言いました。なのに、インタビュー中に、自分がこれから書く原稿のことを想定して、例の「見出しに取りやすい」言葉を引き出そうと策を弄するなんて、まるでヤラセじゃないか、とツッコまれそうです。
 その点については、わたしはこう考えているんです。いったんこの相手のことを書こうと決めたら、その人物の主義主張をできるだけ引き出し、分かりやすいかたちで読者に届けようと策を弄するのがジャーナリストの本分である、と。
 さっき、自分の仕事はミーディアを務めることだと言いました。でも、ただ間に立つだけでは芸がない。
 オーディオの歴史に詳しい人はいますか? わたしが高校生だったころ、ちょうど今のiPod人気みたいに、コンポステレオっていうのが流行しました。ステレオ装置って、こういう構成なんです。音源があって、増幅器があって、スピーカーがある。プレーヤーから出てくる電気信号が、最後はスピーカーから音声となって再生されるのですが、間にアンプリファイアという機械が挟まります。この装置を改造したり取り替えたりすると確かに音が変わるんです。それが楽しくてオーディオファンという人種が大量発生した時期があったんですけど。
 なにが言いたいかというと、ジャーナリストにはこのアンプと同じような役目もあると思うのです。同じケースを扱っていても、クズみたいな記事もあれば、うならされる記事もあります。どうせなら、読者をうならせる記事を書きたいですよね。切り口とか筆力も大いに関係しますけれど、まずは取材が肝心です。とにかく根掘り葉掘り聞く。疑問点は必ず質す。記事に書いて読者をうならせるような何かを引き出すことに、全力を尽くすのです。
 また「山のトイレ」の例に戻ると、最初に会いに行ったNGOの事務局長さんは大学の助手の先生で、国立公園の管理方法なんかを研究している人でした。だから登山客の動向にすごく詳しい。登山者たちがなんである時期、ある場所に集中して野ぐそをしちゃうのか、そういう分析をしていて、「へえボタン」叩きっぱなし、というお話が聞けました。
 でも、記事を書くにはちょっともの足りない。この先生は自分はあまり登山をしない人だったのです。それで、現実に山でクサイ思いをして怒っている人はいないかと探しました。どうやって探したかというと、簡単です。事務局長さんに「だれかいませんか」と聞いたのです。それで、登山のベテランだという会長さんを紹介されて、また会いに行きました。ひとり取材したら、そこから次の相手が見つかることは、とてもよくあることです。
 で、会いに行くと、彼は清掃登山をやっていて、汚物回収はものすごい苦労なんだそうです。これは「見出しに取りやすい」エピソードです。そこで、記事ではこの体験談を冒頭に持ってくることにしました。
 ただ、問題点を指摘するだけでは、この記事は終われません。リードで「いい方法を探してきます」と見栄を切っていますからね。そこで、NGOがいろいろ考えて提案している解決策を紹介するわけです。それは、「なるべくトイレで用を足す」「紙を持ち帰る」「我慢できないときは携帯トイレ」という三本立てです。これを伝えることこそ、この記事を書こうと思った動機、わたしがミーディアとして読者に伝えたいと思ったことです。
 でも、この三つをただ羅列してもつまらないので、もひとつサービスを考えました。携帯トイレを実際に使ってみる、ということです。さっそくいくつか買ってきて、トイレでやってみました。最後に丸めて密封して、山からうちに持って帰ってから捨てなさい、とNGOは言っています。うちには子どもがいて、彼らが赤ん坊の時に紙おむつを使っていましたけれど、オトナのはかなり違いますね。自分のウンコを手に持つという体験は、普段はまずないでしょう。いろんな意味で勉強になりました。
 いわばこの部分は体験ルポですが、あんまり克明に描写すると変態記事になってしまうので、記事では数行でスマートにまとめています。
 こうして仕上げた原稿が晴れて記事になったのが、これです。手前みそですが、取材相手と協力しながら、まあまあいい記事が書けたんではないかなと思っています。
 さあ、ここまでで質問があればお答えしたいと思います。
 では、後半です。
 ひとくちにライターと言っても、いろんなライターがいるとお話ししましたが、大きく二種類に分けることもできます。つまり、スタッフライターと、フリーランサーです。報道機関のスタッフとして、編集長の指示のもと取材や執筆にあたるのがスタッフライター。いっぽう、自分自身の考えで企画を立て、それに基づいて原稿を書くのがフリーランサーです。
 わたしは、スタッフライターの経験があります。駆け出し記者のころ、札幌の新聞社に勤めていたのです。
 理系の大学生だったころに、ある地球規模の事件が起きたのです。みなさんが生まれる数年前、1986年の4月に起きました。旧ソ連のチェルノブイリという村で、原発がひどい爆発事故を起こしました。前代未聞の大事故で、大勢の人が死んだだけでなく、爆発の勢いで吹き出た大量の放射能がヨーロッパ全土を汚染しました。イタリア産のスパゲティから放射線が検出されるとか、日本でも大騒ぎになって、いわゆる反原発運動が繰り広げられました。札幌の大通公園でも、あそこに北海道電力の本社ビルがあるのですが、ちょうど北海道電力は後志の泊村というところに北海道初の原発建設を計画しているところだったので、建設反対の大規模なデモ行進があったりしたんですよ。
 機械工学科の学生だったわたしは、そのままエンジニアになるのになんだか違和感があって、ずるずる大学院に進学していましたが、この事件をきっかけに工学や技術と環境問題の関係にがぜん興味が湧いてきて、このことを読者に伝えるジャーナリストになりたいと思ったんです。
 とはいっても、それまで勉強してきたこととはまるで違う分野ですから――何しろ本格的な作文といったら卒論くらいしかなく、それも機械工学科の外業論文なんてほとんどが図面とグラフで、文章なんて先輩の論文の引き写しみたいなものでしたから――まずはどこかで修行しなければと。それで、ちょっと受験勉強して北海タイムスという地方新聞の試験を受けて何とか潜り込みました。最初、調査部と校閲でアシスタントみたいなことをしてから、正式採用になって報道部に移り、警察まわりと市政記者を丸三年やって、取材と原稿書きのテクニックを覚えました。それからありがとうございましたといって辞め(もちろんバカヤロウと叱られましたけれど)フリーランサーになったのです。
 では、会社の編集長の指示で動くスタッフライターと、わたしのようなフリーランサーの違いは何でしょうか。スタッフとフリーとで、同じことをやっていては意味がない、とわたしは思っています。
 メディアスクラムという言葉、お聞きになったことはありますか?
 たとえば豚肉でつくったコロッケを「牛コロッケ」だと偽装表示して売っていた北海道の会社があったと。すると、それはもう大勢のスタッフライターたちがどっとその会社に詰めかけます。別に病人や死人が出たわけでもないのに、まるであの田中社長が史上最悪の極悪人のように新聞やテレビに映し出されるわけです。
 あのように一つの現場に集まったときの記者たちの心理というのは、手に取るように分かります。「オレの知らないネタを他社はつかんでいるんじゃないか」。それだけといってもいい。田中社長がどれだけ悪いことをしていたか、新しいネタを血眼で探そうとします。だから、ひとりの健康被害が出ているわけでもない、ちんけな偽装事件が、あんな報道のされ方をしてしまうのです。
 少なくともわたしは今、あそこに行こうとは思いません。田中さんバッシングはスタッフライターにもう任せて(それもあんなには必要だと思いませんけれど)、違う切り口を見つけて取材したほうがいい。
 たとえば、牛肉コロッケと、合い挽きのコロッケと、約40人のみなさんとここで一緒に食べて、感想を書き合うというのはどうでしょう。何人が違いを見分けられたか。どっちがおいしいか。集計結果から、何かオモシロイ発見があるかも知れません。そんなことを切り口に、消費者が選んでいるのは実は食品そのものの味とか、品質とかでは全然なくて、単にラベルに張ってある文字情報なんだ、というのを浮き彫りに出来そうじゃないですか。
 ほかのだれとも違った切り口を見つけて取材対象に向かう、というのが、フリーランサーの役割だし、そこで勝負するのがフリーランサーの醍醐味だと思っています。
 「報道のあり方を考える」という題に即してちょっと堅い話をしてみました。顧問の先生たちには、少しご満足いただけたのではないかな、と思います。
 せっかくですので、自分がいま使っている取材道具のことをお話ししておきます。といっても特別なものはなくて、いつもこんな装備で出かけています。
 さて、残り時間で少し、レイアウトのことをお話ししましょうか。コロッケの話で、消費者って結局、中身じゃなくて、表示情報を見て買っているんじゃないのって、ケチをつけたんですけど、それは外見を飾ることが無意味だと言っているわけではありません。記事の場合も、読みやすいレイアウト、読みにくいレイアウトというのは、確かにあって、同じ中身なら読みやすいレイアウトにしたほうが絶対いいに決まっています。
 メディア業界ではレイアウトの研究も非常に進んでいるんですが、習うのは簡単です。本屋さんに並んでいるすべてが教科書であり、見本帳です。ちょっと色々なレイアウトを見てみましょう。
 こんなふうに、レイアウトにもさまざまなデザインがあって、日々進化しています。若い皆さんもぜひたくさんのメディアに触れて――わたくしの著書も是非ご購読いただいて――、ぜひよい書き手、作り手、そして読み手になっていただきたいと思います。私のお話はこれで終わりです。
 

(2007年9月17日にウェブサイトにアップしました)

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