滋賀県八日市市・河辺いきものの森ネイチャーセンター
連続講座「里山七彩」講演会予稿(2002年11月22日)

「身近な環境における移入種」

平田剛士(フリーランス記者)

 きょうは「身近な環境における移入種」というタイトルでお話しさせていただきます。この移入種という言葉、もともとは学術用語で、何年か前までは新聞などでもお目にかかることはほとんどなかったと思います。それがいま、こういうふうに身近なトピックとして注目を集めているわけです。とくに滋賀県ではこの秋、ブラックバスとブルーギルの再放流を禁止する、という項目を盛り込んだ条例が作られて、全国中の関心を集めました。だから滋賀県のみなさんは相当、移入種問題にお詳しいのではないか、と思います。

 わたくしは北海道の滝川というまちに住んでいるのですが、いわゆる積雪寒冷地で、今年は何だか雪が早くて、先週の14日から15日にかけてドカンと膝上まで降りまして、早くも根雪の状態です。きょう千歳空港から伊丹まで飛行機で参りましたが、先週だったら危なかったかもしれない。飛行場は平気でも、そこまでの列車が遅れたら飛行機に乗れませんから。高速道路もよく通行止めになります。といってもこのあたりにくらべたらロードサービスもドライバーもオトナとコドモで、厳冬期の零下10度、路面が圧雪アイスバーンでも100キロで走れるんです。制限速度はいちおう50キロに規制されますけど。危ないのは真冬よりむしろ春先で、短時間ですがものすごいガスに覆われることがある。閉鎖情報が追いつかない。これはほんとうに視界がきかない。いつのまにか車間が詰まって、ヤバイと思ってだれかがブレーキを踏んでつるっといくと、とたんに玉突き事故です。3月に北海道旅行される方はどうぞお気をつけください。

 そんなふうで、北海道のわたくしの住んでいる滝川の周辺はこれから4月まで半年くらい、地面は雪に覆われてしまいます。いわゆる銀世界の状態ですね。ちょうど1年前ですが、年末に沖縄に取材に行く機会がありました。朝一番の便に乗るのに前の晩に千歳に向かったんですが、これがものすごく冷え込んだ日で、深夜は零下20度近くまで下がっていたと思います。でもダウンジャケットに長靴で沖縄に行くわけにもいかず、短靴を履いていったんですが、夜中に空港近くの駅前からホテルまで凍った道を歩きながら、本気で行き倒れるんじゃないかと思いました。

 翌日、羽田経由で那覇空港に着いたら気温は20度を越していて、空港バスに冷房が入ってました。バスに乗って、沖縄島のやんばるの森の入り口にあたる名護という町に行きましたが、地元の人は「冬だねえ、きょうは肌寒いよね」って言ってました。セーターを着込んで。

 同じ日なのに北海道と沖縄では気温差が40度近くもある。これが日本列島の風土なんです。

 ところ変われば品変わると言いますが、これだけ環境が異なれば、生態系の様子も大きく異なります。生態系というのは、その地域にすんでいる生き物同士がいろんな関係性の中で生きている、そのネットワークのことです。地域によって生態系が大きく異なる。生態系に個性がある。この個性を大事にしていこう、というのが生物多様性の考え方です。

 ちょっと写真をご覧いただけるでしょうか。

 これはいま言った沖縄の名護から船に乗って少し沖に出て、沖縄島の辺野古という地域を振り返ったところです。せいぜい水深10メートルの浅い砂地の海がぐるっと島をとりまいていて、その外周部にリーフと呼ばれる暗礁があります。このリーフのおかげで、台風の大波が島を直撃することがありません。回廊のようなかたちで砂地の海も守れられて、その砂地にはウミクサという植物が生えています。

 そのウミクサしか食べない動物がこれ。ジュゴンです。このあたりの海の水温は12月末でも20度くらいあって、非常にあたたかい。北海道の海にはこの動物はすめません。温暖な海に適応しているのです。

 いっぽう、北海道の代表的な大型哺乳類といえば、このエゾシカがいます。昨年11月1日の狩猟解禁日にオホーツク海側に近い西興部村というところで撮影したものですが、雄のアダルトで、体重は100キロは完全に超えていると思います。日本のシカはニホンジカという種名がついていて、北海道のエゾシカは種名ニホンジカ、亜種名エゾシカというふうに分類されています。奈良公園のシカはホンシュウジカといいまして、エゾシカとは亜種のレベルでグループがまた違いますが、エゾシカほどは大型化しません。恒温動物の場合、同じ種であっても寒冷地になるほど大型化する傾向があるといわれていて、ベルクマンの規則と呼ばれていますが、ニホンジカでは確かにこのことが当てはまるわけです。なぜそうなのかといえば、やっぱり気候風土に合わせて、そのほうが生きていきやすいからそのように進化してきたんだと思います。気温が体温より低い場合、体形が大きいほど表面積を相対的に小さくできて、熱を奪われにくくなるのです。

 さて、この動物は何かお分かりですか。ヤギです。ヤギは日本でも非常に親しまれてきた家畜ですけど、ある場所で、これが「移入種」のレッテルを貼られて大問題になりました。この写真、木がほとんどないでしょう? もとは分厚い森林に覆われた島だったそうです。小笠原諸島という、東京港から南に1000キロほど離れた太平洋に浮かんでいる亜熱帯の島の中にある、媒島という無人島です。戦前は人が住んで、牧場みたいなことをしていたらしいんですが、戦争が激しくなって放棄されました。その後、残されたヤギがどんどん増えて、草から若木まで全部食べ尽くしてしまった。森が弱ったところに台風が来て、こんなふうに丸坊主になってしまったのです。赤土が流れ出て、周りの海も真っ赤です。

 ヤギはもともとこの島にいたわけでありません。人が持ち込んで、そのあと野生化して定着して、もとから続いてきた生態系をめちゃくちゃにしてしまう、これが移入種なのです。

 二キロ四方ほどの小さな島で、一時は500頭くらいまで増えたのですが、1990年代に入ってから東京都と環境庁がヤギの駆除をおこなって、いま媒島にはヤギはいません。でも森林がよみがえるまでにはまだかなり時間がかかるでしょう。移入種問題に限りませんが、いちど失った自然環境を元通りに戻すことはハッキリ言って不可能です。だからこそ、まずこうしたことを引き起こさないことが大事になってきます。

 さて、みなさんお馴染みの魚、ラージマウスバスとブルーギルですね。夏に琵琶湖博物館で撮影させてもらいました。ヒドイとは聞いていましたが、これほどとは思ってませんでした。今回の取材では、琵琶湖博物館の中井克樹さんに案内してもらって、まずマキノ町の海津(かいづ)大崎と、西浅井町の菅浦を見学しました。中井さんたちのグループがモニタリングを続けているところです。

 この日、海津大崎に取材に行くと言ったら、わたくしの母親が、女学校時代にキャンプに行って湖の水で飯ごうを炊いたと話してくれたのですが、いまはどうなんでしょう? 浜辺でとにかく目立ったのはプラスティックワームとルアーと釣り糸。いくらでも集まるんです。

 学生さんがドウを仕掛けたら、バスとギルのこの春生まれの稚魚が入りました。このときは京大の生態学研究センターの遊磨(ゆうま)正秀助教授も調査にこられてたんですが、こうやって腹を割いてもらったら、絵に描いたようにスジエビが出てきました。

 これは菅浦の中井さんの調査フィールドです。白いカードがばらまいてあるでしょう? ギルの産卵床に番号を振って、追跡調査しているんです。今年は約六〇〇の産卵床をカウントしたそうです。ギルの産卵床の数は年々増えているそうです。なぜ増えていると分かるかと言えば、もうこの場所で10年も調査が続けられているからです。

 まだるっこしい、こんなん見てんと全部つぶしたらええやん、と思われる方もいらっしゃると思うんですけど、この勝負、熱くなったら負けだというふうに思うんです。

 次の日に守山に行きまして、ブルーギル撲滅釣り大会に参加してきました。みなさんご存じと思いますが、あのあたりの水中、本当にギルだらけなんです。100人くらいが朝から昼前まで釣って約250キロの魚が釣れました。一匹100グラムとして2500匹です。釣り堀でもこんなに釣れませんよ。

 今度の県条例で、いったん釣り上げたブルーギルとラージマウスバスのリリースが禁止されました。条例に反対してる人の中には、そんなことをしてもギルやバスを減らす効果なんかない、という意見もあるんですが、県の担当者に聞くと、何もリリース禁止だけでバスやギルを減らそうとは考えていない。駆除は駆除で何千万円もかけて対策をやってますからと言っています。だからせめて、その目と鼻の先でリリースしてくれるな、というのが条例の本質だと思います。

 とはいえ、半日で250キロ2500匹釣っても、あるいは漁師さんたちがエリであれだけ大量に獲っても、焼け石に水というくらい、いまギルの勢力は強い。熱くなったら負け、と先ほど言いましたが、この勝負はたぶんこの先、延々と続きます。媒島のヤギは一匹残らず排除できましたが、離れ小島で、逃げ隠れする場所がなく、しかも大型でみつけやすい、しかももともと家畜のおとなしい動物だったからこそ、できたといえます。それでも何年もかかっていますが。この広大な琵琶湖で、ここまで増殖したバスやギルを絶滅させるなんてとても不可能で、せいぜい低いレベルに抑え込んでおければそれで良しとしなくてはならない、移入種対策とはそういうものなのです。みなさん、覚悟を決めて下さい。

 ですから、「バスに罪はない」「公共工事のほうが問題だ」などと論争している時間は本当はないんです。「バスには可哀想だけど、生物多様性保全のために死んでいただきます」「公共事業もひどいけど、移入種問題も同じくらいひどいんです」。これで終わりです。

 とはいえ、移入種を生みだしたのは他ならない自分たち人間です。これまで、むしろよかれと思って誇りを持ってリリースしてきたのに、それを否定されたら、何かこれまでの人生全部を否定されたみたいに感じてしまう気持ちも分かります。何も全人格をキライだと言ってるわけじゃないんだけど、熱くなるとつい、そうなっちゃうんですよね。それで裁判とか始めてしまう。生物学的にも難しいし、社会的にも難しい。それが移入種問題です。

 これまでよかれと思ってきたことが実は環境破壊だった、というのはよくあることで、河川改修もそうですし、一斉植林とか、灌漑とか農薬とか化学肥料、牛に肉骨粉を与えてBSEにしちゃったとかいうのも同じパターンでしょう。琵琶湖のギルにしても、最初はイケチョウガイの宿主にするために水産試験場が放流したのが始まりだったんです。

 ふつう当事者は間違ってたと認めたがらないんですが、そういうときにはずばり証拠を突きつける。よく推理ドラマでありますよね。これが動かぬ証拠だって。自然環境問題の場合、証拠は生態学的な観察から導き出されることが多い。

 たとえば毎年、同じ時期に同じ場所で同じ方法でギルの繁殖行動を観察し続ける。産卵床が増えているか減っているか、繁殖成功率は高いか低いか、ほかの魚との関係はどう変化したか、モニタリングで相手の群れの状態を常につかんでおくわけです。

 これから琵琶湖ではバスやギルのリリースが禁止され、駆除事業で捕獲圧力も高まります。その結果、本当に相手の群れが減っているのかどうか、対策の効果判定をするのも、この手法です。繁殖して増えるよりもたくさんの数を殺さなければ駆除は失敗です。多額の税金をかけて駆除するんだから、効果は分かりませんでは済まないでしょう。捕獲とモニタリングはワンセットでやらなければ無意味だと思います。効果がないと分かれば、すぐやり方を変えなければなりません。どのやり方が一番効果あるか、捕獲方法の検討もこれからだと思うのですが、その評価も、群れのモニタリングによってしかできません。

 相手動物の群れの数を、モニタリングとその結果に基づく手法変更によってコントロールするやり方をワイルドライフ・マネジメントといいますが、琵琶湖でこれから始まるのは、移入種を相手にしたワイルドライフ・マネジメントです。駆除対策というと、とにかく獲りまくればいいという印象ですが、ここは冷静に相手の群れのモニタリングを決して忘れずに、効果を見極めながらじっくり進めるべきだとわたくしは思います。そうしないといずれ疲れてしまって、手を緩めた途端にまたギルが爆発的に増加、ということになると思います。

 繰り返しになりますが、これは長期戦で、たぶん半永久的に続く環境保全対策です。こんなことを言うと、30年前の琵琶湖をご存じの方は、やりきれない気持ちになられるかもしれませんが、いまここでその仕組みを確立しておくことは、バスやギルを増やしてしまった世代として最低限の罪滅ぼしと言えるのではないでしょうか。みなさまのご健闘を祈りつつ、わたくしのお話を終わらせていただきます。

(2004年10月15日にウェブサイトにアップしました

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