北海道工業大学環境デザイン学科 2006年度後期
2006年10月4日 環境ビジネス講義資料

平田剛士

第2回 廃棄物にまつわるお話

 先週も話したけれど、2003年から04年にかけて、ゴミの問題を調べて書いた記事をまとめて本にするとき、『そしてウンコは空のかなたへ』という題名にしました。ヘンテコな題名に聞こえるかもしれないけれど、これは嘘を言っているワケじゃない。
 なぜウンコかと言えば、これが一番、自分たちに馴染みの廃棄物だと思ったからです。何せ、生まれてから死ぬまで、ずっと「廃棄」し続けるわけで。
 リサイクルっていうのは、廃棄物をもう一度、有用な何かに変えて再利用するということですが、日本ではかつてはウンコも再利用していました。始まりは江戸時代で、江戸に幕府がおかれた(1603年)ころ、江戸の人口が50万〜60万人くらい。その後もどんどん人が集まって、やがて100万人規模の世界最大の都市になります。かたや、その人口を支えるのに大量の食料が必要ですから、江戸郊外では農業が急発達します。それまで緑肥、つまり田植えするまで田んぼに生えてた雑草とか、山で刈ってくる草なんかですが、それを積んで発酵させて、いわゆる堆肥にしていたのを、それだけでは足りなくなって、都市の人糞を活用するようになる。窒素、リン酸、カリウムの宝庫ですからね。田植え前の水田にヒシャクでウンコを撒いてコメを育てるわけです。
 水田というのは非常に良くできていて、田植えの前、まず水を張って耕耘すると、土の粒の大きい方から沈んで、細かい粒子が表面に積もります。これによって水漏れしにくい階層構造ができる。表面を代掻きして、浅く水を張って数日おくと、土壌は好気層とその下の嫌気層に分かれる。屎尿が臭うのはアンモニアのせいですが、水田ではこれがうまく分解してくれる。もちろんまったく臭わないわけではないけれどね。 
 ちなみに、日本で家にトイレが設けられるのは鎌倉時代以降だそうです。平安時代は、貴族なんかはおまるにしていた。当時のおまるは木の箱で、ウンコすることを「はこする」といっていたらしい。その箱はふだんは片づけてあって、用を足すときに出してくる。カラオケで得意の曲のことをなんて言います? 18番ていうよね。18番と書いて「おはこ」と読むでしょう。あれ、この平安時代のおまるからきているって知ってました? いざっていうときに出してくるから、十八番、というようになったんだそうです。。
 用が済んだら、箱を運んで中身を庭の片隅に捨てていたらしい。あとは川にしていた。あるいは野糞。人口が少ない時代ですから、自然循環の中で十分、分解できていたんです。
 江戸時代に話を戻すと、人糞肥料はコメの大量生産に非常に役立ち、同時に江戸市中の屎尿の大量処理にも貢献しました。屎尿は立派な資源で、農家は町まで買いつけに行っていた。ウンコにもランクがあって、武家のウンコは最上ランク、牢屋の便所のは最低ランク。長屋だと、共同便所のウンコの代金は大家さんに、シッコの代金は店子に払った。お金で払うのではなく、野菜と交換することも多かったようです。こうやってウンコをお金を出して買って、自分の田んぼまではるばる運んで、それでもお米を収穫すれば農家は利益があがったわけです。ウンコは廃棄物どころか、れっきとした有価物で、こうなるとリサイクルは非常によく回転します。ある試算では、現代の価値で年間12億7000万円が回ったそうです。いま、リサイクルに旗を振る人たち、江戸時代の江戸は世界中で最高のリサイクル社会だったって、ものすごく評価しています。うらやましくてしかたないんです、そういう社会が。
 でもだんだん様相が変わってくる。大正時代になると化成肥料の利用が急拡大します。都市部の排出量と農村の需要のバランスが崩れて、それまで農家に買ってもらっていたのが、手数料を払って引き取ってもらわなければならなくなった。やがて行政が汲み取りするようになり、アジア太平洋戦争後はGHQの指導で「屎尿処理」が始まった。田んぼや畑に屎尿を撒くのは不衛生だ、というのがアメリカ人たちの意識だったんですね。行き場をなくした大量の屎尿は海に捨てられるようになります。リサイクルはあっけなく崩れました。
 で、いまはどうなっているかというと、海洋投棄は最近ようやく禁止され、来年1月以降は違法になりました。都市部では下水管が整備され、大量の水で流して下水処理場に集めたあと、科学技術の粋を凝らして汚水を浄化しています。日本人はだいたい一日に1.1〜1.5リットルくらい排泄します。このし尿を、水洗トイレだと大体60リットルの水で流している。下水処理というのは、こうやって流した汚水を、もいちど有機物ときれいな水に分ける行程にほかなりません。ぶくぶく泡立つ水路を延々流しながら、有機成分をバクテリアに食べさせて「活性汚泥」というどろどろを沈殿させ、脱水機にかけて絞り、最終的には真っ黒なドロみたいになる。もう臭いません。このドロ――脱水ケーキと呼ぶんですけど、これを最後に超高温800度の炎渦巻く焼却炉にぼとぼと落とし込むと、一瞬で燃え尽きます。煙突から煙になって出て行く。つまり「空のかなたへ」ってわけです。
 こういう屎尿の処理に、いまいくらかかっていると思います? 下水道料金をみると、札幌だと1世帯あたり毎月935円。全国平均だと2400円かかっています。下水道事業って国費、都道府県費、自治体費、受益者負担=下水道料金という4種類の財源で支えているわけですが、札幌市下水道局予算が876億円、政府の下水道予算が2兆2800億円です。
 これ、どう思います? 江戸時代から明治時代にかけて、いまから400年〜100年くらい前、つまり7世代くらい前からみんなのひいじいちゃん、ひいばあちゃんくらいまでの時代は、ウンコは有価物として売買され、人口を支え、経済を支え、同時に廃棄物問題も生じさせなかった。でもいま、ウンコはウンコのまま変わらないのに、ウンコは間違いなく廃棄物で、あふれ出して環境汚染するのを防ぐのに莫大な税金とエネルギーを注ぎ込んでいます。
 このパターン、ウンコに限らず、あらゆる廃棄物処理にも共通しています。日本では2000年に「循環型社会形成推進基本法」ができました。「天然資源の消費を抑制し、環境への負荷ができる限り低減される社会」=循環型社会をめざす、というのが目的です。それに合わせて各種のリサイクル関連法が整備されて、これまで「自動車リサイクル法」(02)、「容器包装リサイクル法」(95)、「建設リサイクル法」(02)、「食品リサイクル法」(02)、「家電リサイクル法」(98)なんかができました。これ、不要品の再資源化をメーカーや消費者、自治体に義務づける内容ですけど、コストを誰が負担するのか、というので揉めに揉めてますね。たとえば家電リサイクル法だと、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、エアコンを捨てるときには、ユーザーがリサイクル料金を払って電気屋に引き取ってもらえ、というふうにした。その結果、不法投棄が激増しました。それで次にパソコンを対象に加えたとき、あらかじめ販売価格にリサイクル料金を上乗せすることになったんですが、今度はメーカーが大反対した。価格を上げると売れなくなるかも知れませんから。
 こういう、お金を注ぎ込んで無理矢理回すリサイクルは不正行為にも結びつきやすい。建設リサイクル法では、建設業者に解体クズの分別とか再利用を義務づけているんですが、コストがかかるものだから、悪質業者が暗躍して、やっぱり不法投棄が激増している。道内でもよくニュースになってますが、取締機関といたちごっこが続いています。 
 食品はどうか。食品産業、つまり食品加工メーカー、流通業界とか飲食店とかからの生ゴミですけど、この再利用率は約45%で、かなり成績いいです。1136万トンのうち、511万トンが肥料・飼料にまわっているそうです。ところが、食品廃棄物を最も多く出しているのは、一般家庭です。だいたい1000万トン出ます。こっちはリサイクルの成績は悪くて、堆肥化は0.3%にとどまっています。残りは燃やして埋め立てです。
 もうずっと長く悲鳴を上げ続けているのが自治体です。オカネがかかるから。札幌はまだ無料ですが、これはもはやごく少数派で、各自治体でゴミ収集の有料化が急速に進んで、85%の自治体で、ゴミを捨てるのにオカネがかかる。特に生ゴミは水を多く含んで燃焼ガスの温度を下げるからやっかいです。ダイオキシンが出やすいというので、特別な高性能燃焼炉が義務づけられて、またコストがかかる。
 自治体の中には生ゴミを堆肥化するプラントを作るところも出てきた。生ゴミから堆肥を作ってます。自治体は宣伝に躍起になっています。ある工場では生ゴミ堆肥のお値段、15キロ400円ですって。
 でもねえ、ゴミ出しにお金を払って、そこから作った堆肥をまた買わされるわけです。江戸時代の人糞リサイクルとは全く違うってこと、分かりますよね。生ゴミ堆肥を作ったとして、いったいそれを毎年消費できるだけの面積の耕作地があるのか、という問題もあります。
 とはいえ人糞とか食品廃棄物は、これでもまだ、リサイクル向きの廃棄物だと思います。なぜかというと、微生物の助けを借りて、つまり自然生態系のなかで分解が進んで、同じ系の中でまた循環させやすい物質だからです。
 これが無機物やら石油化学製品の廃棄物なると、なかなか循環はうまくいきません。クルマを見ましょうか。四輪車の国内保有台数は7400万台です。年間にざっと500万台が廃車扱いになって、うち100万台は海外に輸出されます。残りの400万台がスクラップ化されるわけです。エンジンをおろし、タイヤを外し、トランスを外し、マフラーを外し、というふうに使える部品は外して、残ったのを廃車ガラといいます。これはギロチン業者に送られて、バリンバリン細かく砕く。砕いたのをシュレッダーダストと言いますが、このシュレッダーダストが年に40万トンとも70万トンとも、200万トンとも言われています。
 そこで「自動車リサイクル法」が作られた。この法律、自動車メーカーや輸入ディーラーに初めてリサイクルを義務づけた法律です。これまで作りっぱなし、売りっぱなしだったメーカーは、廃車後のことも考えなければならなくなった。といっても、もちろんコストはユーザーが負担します。費用は新車購入時の前払い方式で、乗用車で上乗せ価格は7000〜18000円。この作戦で、現在リサイクル率 が81%のところを、95%まで引き上げるのが目標です。
 非常によい法律に見えますよね。95%のリサイクル率。素晴らしい。でもね、よくみるとおかしいことが分かる。自動車のリサイクル率って、さっきみた残飯のリサイクル率とは計算方法が全然違うんです。どう違うかというと、自動車の場合、「埋め立てなければリサイクルしたと見なす」というんです。おかしいでしょう?
 シュレッダーダストって、自動車部品のいろんな素材が入り交じっていて、いわばまったく分別されていないゴミですよ。これを焼却炉で燃やして、ただ熱を利用しただけで「サーマルリサイクル」。燃えかすが溶けて残って固まって、これをスラグと言うんですけど、このスラグも工事現場で道路を造るときに土台に敷けば、これもリサイクル。こんな都合のいいリサイクルなんて、ありませんよ。
 クルマのリサイクルと言ったら、やっぱり廃車から新車を作るくらいのことはやってもらわないと。それをしないで、でもリサイクル率95%だなんて、メーカーは堂々と「エコカー」だなんだとCMを流し、政府も追認してしまう。これが日本の現状です。
 ではほんもののリサイクルって何でしょう。江戸の町のウンコリサイクルの絵をもう一度見てください。物質循環と経済の循環がじょうずに寄り添っています。先々週、サケの一生の話をしましたが、共通点ありますね。本来なら、全部海に流れてしまいそうな陸地の栄養素を、サケが一生懸命運び上げてくれる。重力に逆らって持ち上げるのは非常に労力を使うんだけれども、川を上れば子どもを残せるというボーナスがあるから、惜しみなく力を尽くすことができる。これがリサイクルビジネスのお手本でしょう。
 今日のお話はここまでです。この絵をみなさんに配りますから、江戸の人々はこのリサイクルをなぜうまく回転させることができたのか、自由に分析して、リポートを提出してください。これを宿題にします。

(C)2007 Hirata Tsuyoshi, All rights reserved.

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