北海道工業大学環境デザイン学科 2006年度後期
2006年9月20日 環境ビジネス講義資料

平田剛士

第1回 環境ジャーナリズムという仕事

 みなさん、こんにちは。折に触れて学校にはおじゃましているんですが、きっと初めまして、ですね。僕はフリーライターの平田剛士と言います。きょうから4回、毎週1回の短期間ですが、非常勤教師としてみなさんの前でお話しすることになりました。こう言ってはなんですが、プロの教師ではないので、ほかの先生方に比べると、分かりづらい事もあろうかと思います。そのときは遠慮なく質問なりしてください。僕も途中で話を止めて、みなさんにお話しが通じているかどうか、確かめながら進めようと思います。
 まず、プロの教師ではない僕がどうして今、みなさんの前で教壇に立っているのか。これのどこが「環境ビジネス論」なのか、そのあたりから説明しましょうか。
 僕はどこの会社にも属さずに、自宅の書斎で仕事してます。自分で企画を立て、取材して、原稿を書いて、それを出版社や新聞社に持ち込んで、新聞や雑誌、あるいは単行本として出版して、世の中の読者のみなさんにご提供する。そうして原稿料を頂戴する。そんな仕事をしています。
 フリーランサーですから、仕事の依頼があれば基本的に全て引き受けます。どんなテーマでも好き嫌いを言わずに下調べをし、実際に現場に出かけ、当事者のお話を聞き、写真を撮って、原稿にまとめます。警察にも裁判所にも行きますし、街角インタビューの経験もあります。雑貨ショップの取材でお裁縫を体験したり、家具職人さんと一緒にカンナがけをしたこともあります。先週は、札幌の太平に道内のリサイクルショップの組合があるのですが、業者さんたち同士の競り市を取材しに行ってきました。その前の週は道東の中標津町という酪農地帯で、酪農家さんにインタビューしてきました。
 というわけで、何でもOKのフリーランサーなんですけれども、やっぱり自分のやりたいジャンルというのがあります。僕の場合は、それは環境問題の報道で、これまで5冊、単行本を出しているのですが、どれも環境問題を題材にしたものです。
 1冊目は、もう10年以上前になりますが、まだ20代のころに初めて出した『北海道ワイルドライフ・リポート』。ワイルドライフって、日本語で言うと野生動物のことです。北海道の大自然にあこがれて、内地からこの学校に来たっていう人もいるかな? 僕も実はそのクチですが、大型の獣を見る機会が日本列島でたぶん一番多いのが北海道でしょう。その北海道に生息している野生動物について、というか、野生動物と人間のつきあい方について書いた本です。
 2冊目が97年に共著で出した『環境を破壊する公共事業』。公共事業って分かるかな。公的資金を使って、政府とか地方自治体、つまり役所がおこなう土木工事のことです。インフラストラクチャー、基盤整備と訳されますが、道路・港・橋・干拓・トンネル・ダム・川や海岸の護岸、それから農地や宅地の大規模造成とか、何百億円、何千億円というプロジェクトになることが多いのですが、これが1970年代から90年代にかけて、めちゃくちゃな勢いで行われました。額が大きいから、いったん動き出したら止められないと言われたもんです。それがどれほど地域の自然や文化を破壊しているか、巨額の予算が腐敗を産んでいるか、そういったことを報道したのがこの本です。この本は共著で、ほかのライターさんや大学の先生たち10人くらいと一緒に作りました。僕が担当したのは、日高の平取町の沙流川というところに造られた二風谷ダムと、苫小牧と江別を水路でつないでしまえという千歳川放水路計画の2章でした。
 3冊目は『エイリアン・スピーシーズ』という作品で、99年に書きました。エイリアンって映画、見たことありますか? 宇宙ステーションに怪物が侵入して、人間を襲いまくる。今見ても怖い。恋人とDVDを観ると仲が深まるかも知れません。で、怪物がエイリアンと呼ばれる。もともとはエイリアンって、外国人とか異邦人って意味です。僕のこの本はSFとは無関係で、生態学でいう外来種問題を扱っています。これは聞いたことあるでしょう。外国から持ち込んだクワガタだとか、ブラックバスだとかが、いま国内の生態系のバランスを大きく崩し始めている。その実態を描いたルポです。
 ルポって言いましたけど、どういう意味か分かります? 正確には、ルポルタージュって言うフランス語で、紀行文とか、報告文と訳されますね。どこかを旅して、現場でインタビューしたりいろいろ体験したりしたこと――つまり取材ですが、その結果を文章にして読者に届けるというわけです。僕の作品はすべてこのルポスタイルで書かれています。
 さてこの外来種問題、事態は深刻なのですが、改めて取材してみると、ある外来種がその場所で具体的にどういう悪影響を及ぼしているのか、なかなか科学的に証明できないことも多い、ということが分かりました。理由はいろいろあるんですが、最大の原因は、外来種がやってくる前の環境の状態がきちんと分かっていなかった、と言うことです。どんな変化をしたのかが知りたいのに、変化前の姿が分からない。これじゃあ科学者はお手上げです。けれど対策は急ぐ必要がある。実際、この本が出た頃から日本の外来種対策は急進展しますが、分からないからとりあえず様子を見ましょうと放置するのではなく、とにかく今できる最善を尽くしましょう、そんなふうに日本の環境行政が先進国並みに積極的になり出したことは、特筆に値する変化でした。
 4冊目は生物多様性保全の取り組みを全国で取材した、その名もずばり『ルポ・日本の生物多様性』。この中では、道東の標津川という川で今も実験が続いている自然再生プロジェクトを取材しています。さっきの公共事業のところでも言いましたが、大規模な公共事業でずたずたにされたなかでも、川は特にひどい状態になりました。20歳前後のみなさんにはどうか分かりませんが、僕らだと道東の川は湿原を蛇行して流れるものだっていうイメージがある。ところが実際は違いますね。河川改修といって、蛇行している部分をこうショートカットして、まっすぐにしてしまう。こうすると川沿いの土地から水が抜けて、人間が利用できるようになるっていうわけです。石狩川、釧路川、尻別川、十勝川、そしてこの標津川も、道内の川は軒並み直線化されています。でも川に生息する生物には絶滅の危機にさらされます。覚えているかなあ、ちょうど長良川河口堰の建設反対運動がすごく盛り上がって、河川法が改正され、自民に代わって自社さ政権になり、自然再生法が出来た、その前後です。この標津川で自然再生の実験をやることになった。蛇行をたったひとつだけ川に再接続するという、本当に初歩的な実験なんですけど、それが始まったとき、取材に行って、これを書きました。
 この取材の時、川の自然再生の研究者さんたちにたくさん会う機会に恵まれて、環境デザイン学科の柳井清治教授ともその繋がりの中で出合ったんです。柳井さんはその最先端の研究者さんですよ。その薫陶を受けられるわけだから、みなさんはラッキーだと思います。講義がおもしろいかどうかは、僕は知りませんけれど。
 ここまで野生動物とか自然環境、生物多様性なんかの本ばかりでしたが、2004年に僕としては新ジャンルの、廃棄物問題に取り組んだ本を出しました。それがこれ、『そしてウンコは空のかなたへ』。ウンコがどうして空のかなたへ飛んでいくのか、詳しくは読んでいただくことにして、ここではリサイクルの真実、といったことを報道しようと思いました。例えば、ペットボトル。みなさん、もう分別してゴミ箱に入れるのは習慣みたいになっていることでしょう。でもね、それでいいのか、ってことです。何のために分別しているんですか。リサイクルしやすくするため? じゃあ何のためにリサイクルしているんです? 資源の無駄遣いを減らすため。なるほど! ではペットボトルをリサイクルして、実際に資源を抑制できているだろうか。調べてみると、ちっとも出来ていないんです。容器包装リサイクル法という法律ができて、ペットボトルのリサイクルが義務づけられてから、ペットボトルの生産量は倍増しています。ヘンじゃないですか? とまあ、そんなふうにいろいろ調べながら書いたのがこの本です。
 実はちょっと前にロシアのシベリアを旅行してきて、けっこうな冒険だったんですけれど、このことを書いた本がもうじき出る予定です。あと年明けですが、『絶滅危惧種の救いかた』という本の出版を計画していて、これはいま原稿を書いているところです。
 こんなふうに、いわゆる環境問題についていろいろ取材したり記事を書いたり本を出したりしているわけですが、環境問題というのはつまるところ人間問題なのです。自然を壊すのも人間なら、壊すのも人間。環境問題を解決するには、自分たちの人間社会をどうやったら良い方向にコントロールできるか、そこを考えないといけません。現代は超高度な経済社会ですから、社会をコントロールするのに経済抜きには考えられない。
 自然保護とか、動物愛護とかいうと、何か清貧のイメージありませんか? ボランティアで野鳥を見守るとか、私財を注ぎ込んでワンコのシェルターを作るとか。それはそれで本人が満足してるんだからとやかく言いませんけれど、さっきのペットボトルの分別と同じで、それでほんとに自然保護できてるのかってことを見極めないと、けっきょくマスターベーションで終わってしまう。僕は生物多様性の保全は火急の課題だと思って報道を続けていますが、保全しながら、同時に地域社会の経済活動も維持できるスタイルを見つけ出す必要性を痛感しています。なぜかというと、そうでなければ、保全活動が続かない。続かなければ満足な効果も上がらないからです。
 じっさい、さきほどの標津川の自然再生にしても、お金と時間と人手が非常にかかります。大金注ぎ込んで直線化したのを、また莫大なお金をかけて自然に戻すだなんて、バカバカしいって言う見方ももちろん出来ます。けど、そのお金は札束を川に投げ込んでいるわけではない。プランナー、デザイナー、コンサルタント、資材メーカー、もちろんゼネコンや下請け、孫請けの会社、機材のリース、毎日の仕出し屋さんも含め、事業に関わる人間に回っていくんです。これって経済です。柳井教授は常々「環境はビジネスになる」と言っておられますが、それはこういう意味なんですね。さらにいうと、地域ビジネスとして成り立たない環境対策は、やっぱりマスターベーションに終わってしまいがちです。
 こうしたわけで、環境問題のあるところに必ず“ビジネスチャンス”はあるし、じょうずにビジネス化しないと環境問題は解決できない。じゃあ具体的にはそれはどういうふうにやるべきなのか、というのをみなさんにお話しするのが、きょう、僕がここに立っている理由です。
 さて、これから4回にわたってみなさんの前でお話しするわけですが、一番始めはやっぱり自分の職業について解説したいと思います。ジャーナリズムも職業である以上、ビジネスの範疇にあります。環境問題を伝える環境ジャーナリストというのも、環境ビジネスの中に位置づけることができます。
 今お配りしたのは、さっきお話しした川の自然復元についてリポートした僕の記事です。少し時間を取りますので、読んでみてください。
 イトウという魚のことが僕は好きで、もう10年以上ずっと取材を継続しているので、この事件の中身のこともぜひ考えて欲しいのですが、それはさておいて、この記事を書いたライターの視点を考えてください。
 記事の中には登場人物がいて、ストーリーがありますね。イトウの生息地に、役所がダムを作ってしまった。これではイトウが壊滅してしまうと反対運動が起きた。それで役所は専門家の先生たちを集めて意見を聞いた。先生たちは3年かけて会議して、最後にダムにスリットを入れなさいと答えた。でもスリットでイトウが保護できるかどうかはやってみなければ分からない、という先生もいた。前例はないかと探したら、一足早く上川と白老で実験をやっている人たちがいた――そんな展開です。で、最後に「技術者たちは全精力を傾ける必要がある」と結んでいます。
 これを書いたライター、考えてみればすごいエラソウだよね。何様? みたいな。じっさい、この記事を取材先の人たちに送ったら、なんだこれは、アンタの取材なんか受けるんじゃなかったって怒る人もいました。
 でもジャーナリストはそれを怖がっていては仕事になりません。いいことはいい、ダメなことはダメとはっきりモノを言って、より理想に近いほうに社会が向くよう、提言するのがジャーナリズムの役目なんです。もちろん、言いがかりや偏見で書いてはいけませんよ。しっかり取材して、事実を間違わないように書く。そうでないと、まず第一に読者に読んでもらえません。
 じゃあどうして僕がこの道を選んだか、みなさんの参考になるかどうか分かりませんが、お話ししましょう。
 学生側のチョー売り手市場だったバブル期、1980年代後半ですが、僕はちょうどそのころ工学部の学生でしたけど、学力とはあまり関係なく、学年全員、就職担当教授に割り振られた会社に何となく就職することもできた。でも迷ったんです。完全に甘えだったと思うけれど、ほとんど就職から逃げるためだけに、卒論の実験の傍ら、受験勉強しました。大学院に進学できたら、就職までの時間的な猶予ができますから。スポンサー(親)にはもちろん「勉強を続けたい」と言って。幸い奨学金が当たりましたので、それほど良心の呵責はありませんでしたが、せっかく合格した研究室にほとんど顔を出さなくなりました。キャンパスの芝生に寝転がって、空を見ながら、これからどうしようか、思案に暮れてた覚えがあります。22歳くらいの時です。古本屋で文庫本を買い漁って、読みまくった時期でもあります。
 けっきょく、ものを書く人にアイドルが見つかって、自分もこの仕事がしたいと初めて心底思いました。研究室で兄貴分だった助手の田子さんという人に相談して、「寅さんがこう言ってる、『同じ失敗するなら、やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい』って」というアドバイスももらって大学院を退学し、中途採用で新聞社に潜り込んだんです。優柔不断な性格でぐずぐず1年近くも迷った挙げ句だったんですけど、おかげで20年経った今、いくつかの幸運も重なって、こうしてみなさんの前でお話しできるようになったわけで、まあ無駄ではなかったと思っています。
 さて、ものを書く人にアイドルが見つかったと言いました。僕のアイドルは、小説家でも詩人でも脚本家でもなく、ジャーナリストだったんです。『野戦服宣言』の伊藤正孝、『殺す側の論理』の本多勝一、『売れない写真家になるには』の樋口健二、『ダイヤモンドと死の商人』の広川隆一、『報道写真家』の桑原史成、『南ア・アパルトヘイト共和国』の吉田ルイ子、そういった人たちです。
 いちようにカゲキな人たちです。語り口は冷静で、読みやすいのだけれど、探り出した事実を積み上げ、相手を批判し倒します。ひっかくくらいじゃない、鋭利なナイフでメッタ切りです。いま読んでもドキドキします。
 メッタ切りの相手は、時の権力です。まさに55年体制まっただなか、政権与党=自民党とパトロンの財界、それにアメリカが、ジャーナリズムの主だった論敵でした。
 ジャーナリズムの神髄は反権力にある。権力を監視し、批判し、暴走を食い止めることこそジャーナリストの存在意義であり、ペンの力でそれができるのがジャーナリストだ、ということを、著書を通じて教えてくれたのが彼らでした。
 青クサイと思います? ホリエモンがアイドルだという人には、理解してもらえないかも知れません。だってホリエモンは勝つのが好き。メジャーを目指している人です。声がでかい。いっぽう反権力はいつも、虐げられて声の小さい側に立ちます。ジャーナリストはマイナーなままメジャーを批評し続けましょう、という人びと。なぜかと問われて、彼らは答えます。権力とは必ず腐敗し、腐敗した権力は必ず民衆に不幸をもたらすからだ、と。
 さて、職業に悩んでいた当時の僕にとって、権力の象徴は原発でした。というか、原発への問題意識が就職をためらわせていたんです。
 みなさんが生まれるか生まれないかのころ、僕が21歳だった1986年4月26日に大きな事件がありました。チェルノブイリ原発の爆発です。
 詳しい説明をすると日が暮れてしまいますが、4つ並んだ原子炉のうち、3年前に運転を始めたばかりの一番新しい4号炉が格納容器もろとも吹き飛んだんです。後から調べてみたら信じられない人為ミスで、原子炉を自動停止させるためのシステムの電源を、原子炉が停止する前に切ってしまってたんです。チェルノブイリは当時のソ連、いまのウクライナという国の北部にあって、もうヨーロッパのすぐ隣です。この爆発で現場周辺が汚染されただけでなく、原発から空中に吹き出した大量の強い放射能がヨーロッパ全体に降りました。現場近くの人たちがたくさん亡くなりましたし、家畜や農作物が汚染されて食べられなくなったり、それはひどい影響が出て、いまも後遺症が続いています。日本に輸入されたイタリア産のスパゲティとかフランスのワイン、チーズなどからも放射線が検出されて、大騒ぎになったりもしました。反原発運動が世界的に起こって、道内でも大きな集会とかデモ行進とかあったんですよ。札幌の大通公園とかね。北海道では積丹半島の向こうの泊村に初めての原発ができかけていた時期で、札幌の大通にある北海道電力の本社前でデモ行進したんです。原発はいったん事故が起きたらだれも逃げられない。みなさんのお父さんやお母さんも、これからこの赤ちゃんが安心して生きていけるのかって、さぞ不安だったと思います。
 このチェルノブイリ事故をひとつのきっかけに、世の中で地球環境の問題が大きくクローズアップされていきます。僕は当時、工学部の機械科に在籍していましたが、やっぱりチェルノブイリ原発の事故から「このままエンジニアになっちゃっていいんだろうか?」って悩むようになって、もうエンジニアリングの講義を受ける意欲は失ってました。
 それで、授業に出る代わりに芝生に寝ころぶようになったわけです。そのタイミングで、ジャーナリストのアイドルが出来ました。それで、メーカーに就職して原子炉の設計者になるかわりに、むしろ科学系のことを書くジャーナリストになろうと決めたんですが、新聞社の入社試験にことごとく落ちて、でも最後に札幌の小さな新聞社が拾ってくれた。そこで3年ちょっと修行して、26歳のときにフリーライターになったんです。
 ジャーナリズムの神髄は反権力にある。ジャーナリストは常に、多数派ではなく少数派、支配者の側でなくて庶民の側に立って権力を見つめる――これが僕の考えです。そういうジャーナリストの最大の武器が何だか分かりますか? クイズをしましょうか。これからお配りするのが、その答えです。


We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Construction is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peaceloving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political mortality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purpose with all our resources.


この英文の翻訳を宿題にしましょう。きょうのお話はここまでです。

(C)2007 Hirata Tsuyoshi, All rights reserved.

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