北海道工業大学講義「環境ビジネス」2005年9月14日

第1回 ジャーナリストというお仕事

平田剛士

 こんにちは。去年の前期、碇山さんとやった基礎演習以来ですね。みなさん、元気そうで何よりです。今回は柳井さんのコーディネートで、またみなさんの前でお話しすることになりました。きょうから4回だけの短期ですが、よろしくお願いします。

 去年の7月も参院選挙があって、20歳になりたてのみなさんに「投票を初体験しておいで」と言った覚えがありますが、日曜の選挙は行ったかな? 私も投票権を得て20年、地方選挙も欠かさず投票していますが、自民党がこれだけ勝った選挙を体験したのは初めてです。
 自民党が過半数とれずに野党に下ったのが1993年7月。わたし28歳、フリー3年目でしたか。自由民主党と日本社会党と、1955年に結成された二大政党が対立構図を作って――といっても与党と野党の入れ替わりは1度もなくて、だからいわゆる「55年体制」と呼ばれたわけですが、それが崩れたのが12年前のその選挙だったのです。
 以降、日本新党・細川護煕、新生党・羽田孜、日本社会党・村山富市と非自民の総理が3年ほど続いたあと、また自民に戻って橋本龍太郎。小渕恵三、森喜郎で人気がガタッと落ちて、一昨年夏の衆院選なんかでは民主党がぐっと勢力を拡大しましたけど、今回は本当に全く迫力なく破れてしまいました。
 何たって、今回いちばん自民党をぶっ壊してみせたのは小泉本人でしたからネ。野党は完全にお株を奪われてしまった。へんてこな選挙です。
 一昨年、民主党はいなかより都市部で強かった。無党派層と呼ばれる人たちの票を集めたからだと分析されていました。無党派というのは、ずっと長く特定の政党を支持し続けるようなことを、しない人のことです。これも何だか完全に過去の話になりかけていますけれど、たとえばそれぞれの会社の労働組合は、社会党なり民社党なりを応援する。これはもう決まりみたいなものでした。いっぽう事業主だったら、大企業の社長から町の商店主まで自民党の応援団。農協も自民党。大学の先生は共産党。もう決まり事だったんです。
 でも組合なんてカッタルイ、という無党派の人が職場に増えてきて、まず投票率が落ち込みました。調べてみますと、1996年総選挙の投票率は59.65%で、これが戦後最低記録です。一昨年、民主党が健闘して「二大政党時代幕開けか」と言われた総選挙の投票率は少し上がって、でも戦後2番目に低い59.86%(小選挙区)。それでも、投票率が改善して、都市部の無党派層が民主党に投じたから民主党が躍進した、そう分析されていたのです。
 さて、今回は投票率が近年になく高かった。全国平均で67.51%、北海道で71.05%と、前回を8ポイント近く上回りました。無党派層が投票に出掛けた、ということでしょう。
 その結果が自民党の圧勝です。単独過半数どころか、単独62%の圧倒的議席占有率。各紙が分析結果を伝えていますが、「自民、都市住民つかむ」(朝日新聞12日付夕刊)などと見出しを打って、無党派層が自民党に投票した結果だとみています。前回民主党に投票した人が、今回は自民党に入れた。まさに無党派な人たちです。
 投票されたみなさんは体験済みだと思いますが、無党派の場合、投票行動はけっこう気分に左右されるものです。テレビや新聞で事前予測が頻繁に流れる。小泉ひとり勝ちか、なんてのが公示日前にもう出てるわけです。すると負けず嫌いな人は、勝ち馬に乗ろうとする。とくに、各選挙区当選枠1人ずつの小選挙区制ですから、当選者以外に投票しても死に票になっちゃう。それはシャクだと、そう考えてしまうわけです。これをバンドワゴン効果と言います。パレードなんかで、楽団を乗せて先頭を進むワゴン、あれがバンドワゴン。華やかな先頭車という意味が転じて、人気候補や人気政党をこう呼ぶようになった。聴衆が群がるわけですね。小泉自民党が圧勝したのは、無党派だった人たちに勝ち馬に乗りたがる人が多かったせいじゃないかな、みんな勝ちたがってるのかな、と思ったりしています。
 北海道では逆に、民主党が自民党を凌駕する結果が出ました。それでも各新聞社の出口調査などをみると――出口調査というのは、投票所の出口のところで新聞社の雇ったアルバイトが待ちかまえて投票を終えた1人ずつに「誰に投票しましたか」と聞いて集計するというものですが――やはり北海道でも無党派層は、民主党より自民党に多く投票していたらしいことが分かります。なのに民主党が勝ったのは基礎票、つまり先ほど言った組合などですが、北海道では彼らががんばって支え切ったということではないでしょうか。

 さて、環境ビジネスに携わる人の話を聞くはずの時間なのに、何で長々と選挙の話をしているのかというと、きょうから4回、私の担当で「環境ビジネス・環境ジャーナリスト編」というのをやるわけですが、環境問題に限らずジャーナリストという仕事、いえジャーナリストに限らずあらゆる仕事でも、国会や行政や社会の動きはいつも視野に入れて、自分の立ち位置を確認しておくべきだと思うからです。
 いったいぼくらは何のために仕事を探すのか。給料をもらって自立した生活を続けるため――それはそうですが、だったらあてがわれる仕事、何でもいいわけでしょう? でもみなさんも、悩んで迷って、こだわって職を探していると思うんです。自分が選ぶべき仕事はなんだろうか、自問自答し、「13歳のハローワーク」も読み、適性検査を受け、こういう講義を聴いたりもする。
 学生側のチョー売り手市場だったバブル期、1980年代後半ですが、ぼくはちょうどそのころ工学部の学生でしたけど、学力とはあまり関係なく、学年全員、就職担当教授に割り振られた会社に何となく就職することもできた。でも迷ったんです。完全に甘えだったと思うけれど、ほとんど就職から逃げるためだけに、卒論の実験の傍ら、受験勉強しました。大学院に進学できたら、就職までの時間的な猶予ができますから。スポンサー(親)にはもちろん「勉強を続けたい」と言って。幸い奨学金が当たりましたので、それほど良心の呵責はありませんでしたが、せっかく合格した研究室にほとんど顔を出さなくなりました。キャンパスの芝生に寝転がって、空を見ながら、これからどうしようか、思案に暮れてた覚えがあります。22歳くらいの時です。古本屋で文庫本を買い漁って、読みまくった時期でもあります。
 けっきょく、ものを書く人にアイドルが見つかって、自分もこの仕事がしたいと初めて心底思いました。研究室で兄貴分だった助手の田子さんという人に相談して、「寅さんがこう言ってる、『同じ失敗するなら、やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい』って」というアドバイスももらって大学院を退学し、中途採用で新聞社に潜り込んだんです。優柔不断な性格でぐずぐず1年近くも迷った挙げ句だったんですけど、おかげで20年経った今、いくつかの幸運も重なって、柳井さんとお知り合いにもなれて、こうしてみなさんの前でお話しできるようになったわけで、まあ無駄ではなかったと思っています。

 さて、ものを書く人にアイドルが見つかったと言いました。僕のアイドルは、小説家でも詩人でも脚本家でもなく、ジャーナリストだったんです。『野戦服宣言』の伊藤正孝、『殺す側の論理』の本多勝一、『売れない写真家になるには』の樋口健二、『ダイヤモンドと死の商人』の広川隆一、『報道写真家』の桑原史成、『南ア・アパルトヘイト共和国』の吉田ルイ子、そういった人たちです。
 いちようにカゲキな人たちです。語り口は冷静で、読みやすいのだけれど、探り出した事実を積み上げ、相手を批判し倒します。ひっかくくらいじゃない、鋭利なナイフでメッタ切りです。いま読んでもドキドキします。
 メッタ切りの相手は、時の権力です。まさに55年体制まっただなか、政権与党=自民党とパトロンの財界、それにアメリカが、ジャーナリズムの主だった論敵でした。
 ジャーナリズムの神髄は反権力にある。権力を監視し、批判し、暴走を食い止めることこそジャーナリストの存在意義であり、ペンの力でそれができるのがジャーナリストだ、ということを、著書を通じて教えてくれたのが彼らでした。
 青クサイと思います? ホリエモンがアイドルだという人には、理解してもらえないかも知れません。だって権力はいつだって多数派です。ホリエモンは勝つのが好き。メジャーを目指している人です。いっぽう反権力は少数派。ジャーナリストは少数派のままメジャーを批評し続けましょう、という人びと。なぜかと問われて、彼らは答えます。権力とは必ず腐敗し、腐敗した権力は必ず民衆に不幸をもたらすからだ、と。
 たぶんホリエモンは自分のことを「民衆」だとは思ってないでしょう。むしろ権力を握る側にいる。そういう価値観の人は、ジャーナリストという職業は向いていない。もしライターという職業を選んだとしても、その記事はジャーナリズムとは呼べないでしょう。

 さて、職業に悩んでいた当時のぼくにとって、権力の象徴は原発でした。というか、原発への問題意識が就職をためらわせていたんです。
 みなさんがまだ幼稚園にも行っていないころ、ぼくが21歳だった1986年4月26日に大きな事件がありました。チェルノブイリ原発の爆発です。
 詳しい説明をすると日が暮れてしまいますが、4つ並んだ原子炉のうち、3年前に運転を始めたばかりの一番新しい4号炉が格納容器もろとも吹き飛んだんです。後から調べてみたら信じられない人為ミスで、原子炉を自動停止させるためのシステムの電源を、原子炉が停止する前に切ってしまってたんです。チェルノブイリは当時のソ連、いまのウクライナという国の北部にあって、もうヨーロッパのすぐ隣です。この爆発で現場周辺が汚染されただけでなく、原発から空中に吹き出した大量の強い放射能がヨーロッパ全体に降りました。現場近くの人たちがたくさん亡くなりましたし、家畜や農作物が汚染されて食べられなくなったり、それはひどい影響が出て、いまも後遺症が続いています。日本に輸入されたイタリア産のスパゲティとかフランスのワイン、チーズなどからも放射線が検出されて、大騒ぎになったりもしました。反原発運動が世界的に起こって、道内でも大きな集会とかデモ行進とかあったんですよ。札幌の大通公園とかね。北海道では積丹半島の向こうの泊村に初めての原発ができかけていた時期で、札幌の大通にある北海道電力の本社前でデモ行進したんです。原発はいったん事故が起きたらだれも逃げられない。みなさんのお父さんやお母さんも、これからこの赤ちゃんが安心して生きていけるのかって、さぞ不安だったと思います。
 このチェルノブイリ事故をひとつのきっかけに、世の中で地球環境の問題が大きくクローズアップされていきます。ぼくは当時、工学部の機械科に在籍していましたが、やっぱりチェルノブイリ原発の事故から「このままエンジニアになっちゃっていいんだろうか?」って悩むようになって、もうエンジニアリングの講義を受ける意欲は失ってました。
 それで、授業に出る代わりに芝生に寝ころぶようになったわけです。そのタイミングで、ジャーナリストのアイドルが出来ました。それで、メーカーに就職して原子炉の設計者になるかわりに、むしろ科学系のことを書くジャーナリストになろうと決めたんですが、新聞社の入社試験にことごとく落ちて、でも最後に札幌の小さな新聞社が拾ってくれた。そこで3年ちょっと修行して、26歳のときにフリーライターになったんです。
 ジャーナリズムの神髄は反権力にある。ジャーナリストは常に、多数派ではなく少数派、支配者の側でなくて庶民の側に立って権力を見つめる――これがぼくの考えです。そういうジャーナリストの最大の武器が何だか分かりますか? クイズをしましょうか。これからお配りするのが、その答えです。

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Construction is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peaceloving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political mortality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purpose with all our resources.

 この英文の翻訳を宿題にしましょう。きょうのお話はここまでです。

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