【イトウ保護フォーラム in 別海(2007年10月20日、別海町マルチメディア館)配付資料原稿】
コンクリートダムを両断した「別寒辺牛答申」の功績と禍根
平田剛士(フリーランス記者)
ダム分断を命じた報告書
風蓮川での砂防ダム問題を論じようとするとき、基本文献としてぜひ押さえておきたいのが、『矢臼別演習場・別寒辺牛川水系土砂流出対策等に関する最終調査報告書』です。
別寒辺牛(べかんべうし)川は、陸上自衛隊・矢臼別演習場の内部で、風蓮川に隣り合って流れています。やはりイトウの生息地、それも現代北海道にあって「安定個体群」の生息地と判定されている数少ない川の一本です。
2001年の晩秋、別寒辺牛川の支流であるトライベツ川で「異変が起きている」と、フィールド調査を続けていた研究者さんたちが気づき出します。どうやら人目につかない演習場内でダムが造られ、イトウの繁殖地を直撃しているらしい、というのです。
別寒辺牛川流域にはそれまでダムどころか、落差工もコンクリート護岸も一切ない、21世紀の日本列島でまるで奇跡のように保存されてきた原始河川でした。別寒辺牛湿原はラムサール条約登録湿地で、その重要性を行政機関もよく認識していたはずです。ところが軍事演習場内でダムを建設してしまった。ほかの支流(繁殖河川)にもダム建設の計画が出来ていました。
このニュースが報道されると、いっぺんにイトウ保護の世論が高まりました。厚岸町議会、道議会、国会でも質問が飛び、政府は「有識者から意見を聞く」と約束します。札幌防衛施設局(現・防衛省北海道防衛局)は2002年4月、砂防学や生態学などの専門家たちを招集して「矢臼別演習場・別寒辺牛川水系土砂流出対策等検討委員会」(新谷融委員長)を作りました。
この委員会が8回の全体討議や現地調査などを経て、2006年1月に提出したのがこの報告書です。その結論に従って、トライベツ川砂防ダムは昨冬、ダイヤモンドカッターで真っぷたつに分断されました。
イトウ保護連絡協議会はこれまで一貫してダムの完全撤去を要望してきたので、堤体に隙間を開けるだけのスリット化では納得できない人も多いと思います(かくいう私もその一人です)。とは言え、イトウのために新品のダムを両断にするなんて、前代未聞のことです。逆にいうと、所管行政があっさり(5年かかりましたが)見切りをつけるほど、このダムはナンセンスだったわけです。その実態は、ほかならないこの報告書につぶさに記述されています。いくつか拾ってみましょう。
ダムの「無効性」を暴露
そもそもこのダムは本当に必要だったのか。根本の疑問にはっきり答えているのが、この部分です。
〈一般に、土砂流出対策を目的としたダムは掃流砂を貯留する機能を有するが、トライベツ川に設置したダムのように緩勾配で堆砂域が広い場合には、急勾配で堆砂域が狭い場合に比べて掃流砂の堆砂ばかりでなく、湛水による浮遊砂の貯留効果も期待できるとも考えられたが、トライベツ川ダムの堆砂量調査では、わずかしか貯留が確認されていない。(略)特に演習場・民地等境界地点でダムによる土砂捕捉効果を大きく期待することは難しい。更により上流で土砂移動の卓越する地点ではなく、湿原植生の繁茂するイトウの生息域を分断する地点にダムが計画・建設されるのは違和感が強い。すなわち、土砂流出防止の基本的な考えは、まず河道に到達しないように土砂生産源近傍で土砂の流出を抑制することに主眼を置き、生物生息環境を保全する計画でなければならないと考える。〉(「土砂流出形態と現行の土砂流出防止対策の評価」=48-49ページ)
湿原に立ちはだかる巨大ダムに対して、「違和感が強い」と明記しています。科学者たちがまとめた報告書には珍しく情緒的な表現ですが、実際に現場を訪れれば、だれもがこう漏らさずにいられないでしょう。何しろ一またぎ出来そうな小川に、幅200mのダムです。ついでながら、いま風蓮川の15のダムサイトでも、そっくり同じ光景を見ることが出来ます。
未着工ダム計画にNG
別寒辺牛川の別の支流、フッポウシ川と西フッポウシ川にそれぞれ計画されていた同様のダム建設に、報告書はストップをかけました。以下のくだりです。
〈両流域とも、荒廃地面積率は10%前後であり、訓練等による荒廃化が比較的抑制されていることと思われるが、大規模な降雨があった場合、浮遊砂等の細粒成分が流出するものと予想される。また、両河川は平成15年度及び平成16年度に実施したイトウ産卵床調査の結果、別寒辺牛川水系の中でも、特にイトウの産卵の中心的地域であると思われる。従って、これらの流域における土砂流出防止の基本的な考えは、まず生産源からの土砂が河道に到達しないように、生産源近傍において土砂生産源対策を実施し、土砂の河道流出を抑制することが望ましいと考えられる。〉(「フッポウシ川及び西フッポウシ川流域における土砂流出対策」、54ページ)
撤去? それとも―?
造ってしまったダムをどうするべきか。委員会の席上、新谷委員長は何度も「道民にとってイトウは神格化された魚だ」と述べています。その魚の繁殖地を直撃しているダムです。何人かの委員は「ダムは撤去すべきだ」と繰り返し発言していましたし、検討会終盤には委員長自身、「いずれ(堤体を切り崩して)看板だけになる。10年後を見てほしい」と私のインタビューに答えています。しかし、報告書ではこんな「方針」が示されました。
〈ダムの改良には、(1)本堤の水通し部に河床から天端まで切り欠きを入れる形状にする場合(複断面化も含む)、(2)本堤の水通し部を穴開きとし、天端まではそのままとする場合(ゲートを設ける場合も含む)などが考えられる。(略)(3)本堤の水通し部を河床面まで削り低下させる場合、(4)ダムの本堤部及び前庭部などを含めたダム全面的撤去の場合には、河床面から地下に根入れされている部分(2m)及び基礎杭も撤去されることから、工事実施後は河床面・河床深部を含めた河道域全体にわたって攪乱されることとなり、周辺一帯が不安定土砂化して降雨時に流出し易くなることから、ダム設置前の状況に回復するためには長期間を要するものと考えられる。(略)上下流に形成されているイトウの産卵床に適した礫床区間に細粒砂が堆積してイトウの産卵に支障をきたすとともにイトウの親魚の遡上や稚魚の降下にも影響を与えることも考えられ、ひいては流域に生息する水生生物の生息や厚岸湖・厚岸湾の漁業資源の保全にも影響を与えることも予想される。従って、ダムの全面撤去は将来の選択肢の一つではあるが、別寒辺牛川水系流域の自然環境の保全を考えた場合、流域に生息する水生生物や漁業資源の保全に影響の少ないダム本堤の一部を撤去して行う部分撤去による改良が当面の最良案と考えられる。〉(「ダムの改良に関する基本方針」、70ページ)
おやおや、無理に撤去するとかえって環境破壊につながるからこの案は却下する、と書いています。確かにそういう面もあるでしょう。しかしこの論を通してしまったら、ダムサイトの現状復元なんて金輪際できません。「神格化された魚」の重要な生息地――いわば聖地です――を無神経に破壊しておきながら、復元のための研究も技術開発もしようとせず、たかが2mぽっちのスリットを開けておしまいでは(今後もモニタリングを続けなさいと勧告しているものの)、腰砕けの印象は拭えません。
いま、スリットが入ったトライベツ川砂防ダムのそばに立ってごらんなさい。例の「違和感」は強烈なままです。
風蓮川にどう生かす?
こんな報告書ですが、当局は風蓮川の砂防ダム群についても、この報告書の内容を踏まえながら「適切な対応」をとる、と「道東のイトウを守る会」に答えています(札幌防衛施設局事業部長「矢臼別演習場内風蓮川水系の砂防ダム事業に関する質問書に対する回答」、2007年8月27日づけ)。
トライベツ川砂防ダムに瓜二つの風蓮川の砂防ダム群もまた、報告書の指摘通り無効・無用なダムだと判断したというのならまことに結構。しかし小手先の魚道改修やスリット化で幕引きを図るつもりなら、「違和感」は残り続けるでしょう。
絶滅危機種にして「道民にとって神格化された魚」イトウのすみかとして、そんな構造物との共存を強いられた景観をよしとするのか、それとも――。
野生動物や自然環境に寄せる私たち道民の思いが問われている気がします。
参考文献・ウェブサイト
防衛庁北海道防衛局(http://www.mod.go.jp/rdb/hokkaido/)
イトウ保護連絡協議会(http://itou-net.hp.infoseek.co.jp/index.html)
平田剛士「イトウ繁殖地の砂防検討委/曲げられた「ダムへの疑問」」(北海道新聞2005年7月26日づけ夕刊)
同「ダムに風穴を開けろ!」(同『なぜイノシシは増え、コウノトリは減ったのか』平凡社新書、2007年)
(2007年10月29日にウェブサイトにアップしました)
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