2020/01/21

公益社団法人北海道アイヌ協会 御中

「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」に対する意見

平田剛士 フリーランス記者

前略

貴・北海道アイヌ協会ならびに日本人類学会、日本考古学協会、日本文化人類学会のお取り組みに敬意を表します。「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)」(以下「19年指針」)に対する意見を申し述べます。


北海道アイヌ協会「アイヌ民族に関する研究倫理指針(案)に係るパブリックコメントの募集について」(2019年12月)

北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書」(2017年4月)


(1)総論

このたびの研究倫理指針案は、北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会の連名による「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書」(2017年4月、以下「17年報告書」)にもとづいて策定された、と理解しています。17年報告書は、明確にこう述べていました。

「我が国の大学・研究機関においても過去の学術研究を目的として調査収集されたアイヌの遺骨や副葬品が数多く保管されていることは、関係者の間で知られてきた。文部科学省による調査では、国内の12大学や博物館などの施設にアイヌの遺骨が収蔵保管されていることが明らかとなっている。それらが研究資料として収集された過程や、その後の研究機関における長期間にわたる保管・管理状態の中には、アイヌから見て適切とは言えない取り扱いが少なからず見られた。そもそも、アイヌの遺骨を収集する調査自体が、アイヌ独自の世界観や宗教観を十分に配慮したものではなかったことを正しく理解すべきである。現在の研究倫理の観点から見て、研究者は人の死や文化的所産に関わる資料の取り扱いについて十分な配慮を払うべきである。とりわけ遺骨や副葬品について、直接の当事者であるアイヌと研究を担う研究者の双方が研究の内容について直接意見交換を行い、その取り扱いについて議論する場と機会がこれまでなかったことによって、アイヌに研究に対する強い不信感を抱かせる原因となったことを研究者側は深く反省する必要がある。」(p2)

アイヌ墓地から掘り出すなどして集めた遺骨・副葬品を長期間にわたって留置し続ける大学に対してアイヌが抗議の声を上げ始めてから少なくとも35年以上、UNDRIP採択からもすでに10年が経つタイミングで、遅きに失した感はいなめません。とはいえ、日本の学界のこうした自己批判と意識改革の表明に意義があったのは確かでしょう。17年報告書は、「今後、研究者には、研究の目的と手法をアイヌに対して事前に適正に伝えた上で、記録を披瀝するとともに、自ら検証していくことが求められる」(p4)と述べたうえ、「研究にあたって留意されるべき基本原則」として、@「先住民族の権利に関する国連宣言」(UNDRIP)で示された権利の尊重、A的確なコミュニケーションの確立と謙虚な研究態度、B透明性のある研究の実施、の3点を挙げており(p5-6)、このたびの19年指針案は、その具体的な手順や禁止事項を、これから研究を続けたり始めたりしようとする人たちに示したもの、と理解します。

この視点で19年指針案を拝見しますと、ひとつ大きな「はぐらかし」を感じずにいられません。それは、17年報告書が「アイヌ人骨・副葬品に係る調査研究」にフォーカスしていたのに対し、19年指針案が、特段の断りなしに、その守備範囲を「アイヌ民族に関する研究」(19年指針案タイトル)に広げたことです。そのせいで、従来の「アイヌ人骨・副葬品に係る調査研究」に対する学界の自己批判(および北海道アイヌ協会による学界批評)が鈍り、学界の将来世代へのアラート音がかき消えてしまいました。
このことを指摘したうえで、19年指針案の各記述に対する意見を述べます。


(2)各論

(p6)研究機関における長期間にわたる保管・管理状態の中に、アイヌ民族から見て適切とは言えない資料の取り扱いが少なからず見られた……

●ここでいう「資料」は、主にアイヌ人骨・副葬品を指していると考えられるので、それを明示すべきです。加えて、これまでどのような「適切とは言えない資料の取り扱い」や「配慮」の「欠如」がみられたのかを例示すると、次世代の研究者にとって有益と思われます。

(p8)具体的には、研究の実施やそれによって得られる成果がアイヌ民族へ与える影響が明らかである研究計画、また個人情報を……

●「アイヌ民族へ与える影響が明らか」かどうかは、計画者自身には判断が困難です。「研究の実施やそれによって得られる成果がアイヌ民族へ与える影響が明らかである研究計画、」は削除すべきです。

(p12)A 考古学調査において確認された埋葬遺体のうちで近代以降(1868年の明治維新以降)に埋葬されたアイヌ民族の遺体や副葬品
B Aに含まれない1868年以降に埋葬されたアイヌ民族の遺体やその副葬品。なお本人や遺族の同意があるものは、この限りではない。
C 学術資料として問題を有するもの(例えば、盗掘や遺族など直接の関係者の同意を得ずに収集された資料や時代性、収集地に関する情報を欠除する資料など)。

●この3項は主に、17年報告書が検討の対象にしていた大学・博物館留置遺骨・副葬品(一部を民族共生象徴空間に再集約ずみ)を想定して記述されたものと考えられます。留置遺骨は現在、文科省によって遺族もしくは発掘地団体への返還対象とされており、その研究利用(制限)については、別項で特記すべきです。具体的には、これらの留置遺骨・副葬品のリストを作成し、すべての収集経緯を調査して、それぞれABCに照らして「研究対象とすべきでない」(あるいは「対象にできる」)との判定を、学界自身が明示してはどうでしょう。

●このように留置遺骨・副葬品を除外したうえで、ABの記述について意見を述べます。研究対象になる・ならないの区分がなぜ「1868年の明治維新以降」なのか、理由が不明です。もし日本の学界の慣習的・便宜的な時代区分(古代・近代・現代……)に従っただけだとすれば、「アイヌにとって祖先の遺骨とそれに伴う副葬品は、アイヌの世界観や精神文化を直接反映したものである」(17年報告書、 p3)という認識や、「両学会とも日本国における先住民族問題、民族差別問題との関わりを意識する視点が欠けていた」(同p4)という反省と矛盾します。科学的な理由を記述するか、区分をやめるかすべきです。

(p15)「研究の開始に先立つ協議と自由意思による同意」の重要性

●先住民族に対するFPICの重要性は19年指針案が述べているとおりですが、成功事例が少なく、FPICの手法自体がまだ研究段階にある、といえます。近年の失敗例をみると、札幌医科大学留置の多数の遺骨からDNAを抽出した山梨大学などの研究チームが、北海道アイヌ協会からのみの同意を勝手に拡大解釈して「手続きや倫理上の問題はなかった」と強弁し、出土地の各アイヌ団体から抗議を受けています。このような失敗を研究者に繰り返さなせないために、だれが「関係するアイヌ民族個人や地域団体」なのかの判断基準を含め、実際のフィールドでどのようにFPICを踏めばよいのか、より具体的なガイドラインを示すべきです。

(同) 研究者は、研究計画の作成において、研究の目的と予想される成果や利益及び悪影響や不利益についても、関係するアイヌ民族個人や地域団体に対して十分に説明し、……

●研究開始にあたってのFPICでは、UNDRIPにもとづく先住民族の諸権利についても、詳しく説明すべきです。とりわけ遺体・遺骨に関して、関係するアイヌ民族個人や地域団体が「遺体及び遺骨の帰還についての権利を有する」(同第13条)ことを保証し、研究終了後の「帰還」計画を説明すべきです。

(p18)遺跡などから出土したアイヌ民族の遺体及び副葬品の取り扱い

●「研究機関における長期間にわたる保管・管理状態の……適切とは言えない資料の取り扱い」(19年指針案、p6)のうち、特筆すべきは、アイヌ墓地などから掘り出した遺骨・副葬品について、計測などのリサーチ終了直後はおろか、担当研究者が退職したり死亡したりした後ですら、研究機関が遺骨・副葬品を元の場所に返還・再埋葬(改葬)してこなかったことです。古民具・工芸品なども含め「集めた資料は研究者のもの。地元から求めがなければ返さない」といわんばかりの誤った態度は、学界全体で改めるべきです。ところが、この19年指針案には、研究名目で収集した資料類の返還に関する規定が見当たりません。たとえば、「第3章 研究者の責務」において、研究計画に研究終了後の返還プログラムを折り込むよう義務づける、といった規定を設けるべきです。

意見は以上です。